|
こちらのページは、history → 制作略歴Top → 思考主体「完全版」です。
|
||||
|
制作略歴・思考主体「完全版」
「芸術家 橋本恭明」の思考の流れを現在迄、年代順に掲載。 |
||||
|
年号
歳 |
流れ
|
|
1973~1986
0~12 |
広島県府中市に生まれる。6~7才頃迄はクレヨンでキャラクター、乗り物等を落書きして遊ぶ。 10才頃初めて写生大会に出掛け、描く事の楽しみを覚える。水彩を扱う事が何の抵抗もなく極自然に感じられ、風景を描く事を好み授業以外にも多数制作。制作後、道具(パレット等)を洗わなかった為に何時も汚れた状態だったが、この状態を非常に好んでいた。 「ナイロンの筆が良いよ」と言われ、実際に使ってみてしっくりときた為、17~8才までナイロン製だけを用いて描く。 「描く事はタッチの蓄積である」という考えを持ち、観て感じる色を1筆ずつのせていきながら喜び、あっという間に時間が経過する。 ミレーの落ち穂拾い(印刷複製)を観て写真ではない事に気づくが、どうして画面にこんなにも起伏があるのだろうと疑問を抱き、油絵という物の存在を知る。 年月を過ぎてくると回りの友達の中には勉強と机につく者が現れてくるが、12才頃迄は外を走り回り探検をし、虫を取り、「映画、漫画、アニメ、ゲーム、ラジコン」等に刺激や最先端の感覚を求め、おとなしく机についた記憶がない。TVゲーム、RPGの先駆けや、テレビアニメ黄金期等、多感な時期に過ごす。 |
|
1987~1995
13~21 |
15,6才頃迄は、写生大会に行って遅くなり、塾に遅れて怒られたエピソードがある程、この間もしばしば絵を描きに出掛ける。 14才頃授業で水彩を用いて先人画家作品の模写をする。しかしながら美術から唯一、一番遠離っていたと思えるのはこの13~15才時代だけである。 16才頃に、芸術で生きていきたいと心から願うようになる。 17~18才の時、東京の美術館の常設展を回り、自分の好きな海外の作家の作品を初めて観て、東京滞在中は毎日の様にそこへ通う。帰郷前日、渋谷のミレー展覧会で本物を観れて感動する。 上京後3年間は納得のいく作品が出来ず、日本美術界の不可解さも相俟って悩み苦しみ、この時期は全ての環境に於いて劣悪。日本美術界の悪循環の生まれる所を目の前で体感し、この時の経験から、後に、改善したいと強く願うようになる。 後に気づいた事だが、日本は世界に類を観ない程の美術経歴優先国で、画家判断が経歴優先の為に、真の意味でも生まれてきた作品が世にでない事で、間違った流れを創り、非常に怪しい世界になっていると気づく。 住んでいた近くに洋書画集店があり、毎日のように訪れては食い入るように観、生活費を削って多数購入する。この時期から数年間は特に、世界の美術作品から世界美術の歴史などを積極的に読みあさる。 |
|
1996~1998
22~25 |
リアリズムに魅了され、一枚の作品を長時間描き続ける。今の自分には重要な意味を持つと考えていた事もあって、ここまで真剣で良いのだろうか?と思える程、芸術に対して懸命に思考し、閉鎖的な日本の絵画世界にいらだちを感じながらも、一タッチ一タッチ黙々と作品を製作する。 求めていたリアルなモノという考えが、一枚の絵の中に時間を閉じ込めるという形で解決しようと試みていた。 三次元と二次元という事に、今までとは違う感じ方、考えを持ちはじめる。 資材置き場を描いた辺りから、平面には平面を描く方が画面が強くなるという事を考え、それを逆手にとって、ナイフでの制作を主流にし、絵の具は多く使いながらも筆のタッチを押さえて消す程に、徹底して平らにする事で平面であるというリアリティを表現しようとする。 その後次第に、絵画の歴史は絵画の為の絵画を模索しているに過ぎないと考え始め、絵画展開の奴隷だけの存在になる事を嫌い、描いている本人の視点(位置、存在)を画面に投影させる事で自らの存在を強調しようと試みる。この事が空を大きく撮る構図になっていく。 |
|
1999
26 |
「そら」のみを描いた時、そこには当り前の様に抵抗のある物質は無く、延々と広がる空間だけであり、これをささえるには「物質的な物」か「精神的なモノ」の2種類だと考える。勿論、無限に広がる空の奥行き空間に、絵の具という物質をのせて表現しているのは最小限の事実として存在しているが、物質的な意識として空を描こうとする事を止めれば、そこには精神的なモノしか残らないと考える。(無論、絵画的な事やテクニックを省いての話だが) 見つめる目のみで「そら」を表現しようとすれば、そこには矛盾と対立している自分しかいない事に気づく。この事が、絵画の矛盾と向き合い、思考、制作へと発展していく。 これ以降、精神的なモノへの考察が強くなっていく。画面の中で絵画的事柄との思考が始まる。 |
|
2000
27 |
「そら」を描いた後、再び地面を描き、以前の暖かみのあるものから、今度は人工的な物で精神性を表現しようとするが、風景画で現代の精神面を表現するには限界があると考える。 この時期、幼少時代のコンピューターとの著しい進歩に驚き、現代に生きているという考えとも相俟って、何の抵抗感も無くPCによる制作も同時進行させ、今まで表現を避けていたテーマを製作する。 この年、画家という世界の窮屈さが嫌になり、現代美術家として製作活動する事になる。 初めて命への讃歌、エールを製作し、自分を縛っていたモノが、アカデミックなモノ、体制、絵画的な事であったと気がつく。以後この事柄との解決改善策を模索する事となる。 この年、芸術、絵画を観る目すら持たない人が、何故か世の中に芸術を公表する類いのジャンルで取り仕切り、あれこれと判断している事に対して、こんな事をしているからこの国は商業的芸術しか浸透せず、閉鎖的なのだと、憤りを感じる。 |
|
2001
28 |
テロ事件の影響もあり、人間という存在、かけがえのない命をより一層深く考えるようになる。 人間の複雑な精神を表現しようとする時、作品自体もそれに応じた、生身のあるモノでなければならないと考え、人間の存在に応じた作品の幅を表現しようとする。具体的に1つには、人間の存在には失敗成功は無いように、作品もその事を踏まえて一枚一枚全て上下の無い作品とし、自分の意思で引いた線と偶然性の宝庫である水彩を用いて、人間の精神を表現しようと試みる。 無心で描くとよく言われるが、その時にも必ずと言ってよい程、絵画的な事柄等が付きまとうものである。これらの作品を通して初めて、この類いを超越するには子供(年少)の絵が一番近いのではないだろうかと考えるようになり、ピカソは晩年、この事を考えていたのではないだろうかと考える。 このシリーズの制作から、描くという事と文化の間に関係がある事を気づき始める。 |
|
2002
29 |
顔シリーズの制作から、人間は精神で線を引いている、描いているという事を実感する。 真の芸術は、完成されたモノではなく、先見の目から生まれた断片的作品であると確信する。 出来るだけ多くの人が、物を観れて描ける様になれば、今の美術体制は良い方向に向かうと考え、描いている人全員に、誰もがみんなモチーフを描ける様になる為に必要な事を、親身になって指導する事を決める。 純粋芸術と経済が、ただ1人の結びつき等という事ではなく、この国に当り前の様に流れる環境にしたいと考えて経済面も学ぼうとするが、なかなか思う様にいかない。 1人の芸術家として、世の中の流れや現代について、いろいろと考え始める様になる。 |
|
2003
30 |
現在と未来を積極的に考える様になる。 日本美術界の現状を書き綴り理解を求めようと試みるが、なかなか理解されず、自らの不甲斐無さを痛切に感じる。 日本の絵画指導の現状を再認識し、過去に自分が経験した出来事と、これまで制作等から思考してきた「観る事、描く事」と「精神面」から、日本一の絵画指導を行う様に切磋琢磨する。 「顔シリーズ」を継続しつつ、この国の絵画的という事柄は主に、西洋から生まれた絵画アカデミズムが渡来した物であるという結論に達し、日本における独自の絵画的という概念を模索する為、「漫画」の表現を用いて構成、日本文化も研究する。その事等から「漫画ドローイング」をスタートさせる事となる。 「漫画ドローイング」においても、コンセプトの精神面は変わらず、漫画という日本十八番文化の性質と民族性からくる精神面を一体化させようと試行錯誤する。 これらの流れの中から、「漫画」という物が持つ表現形式「コマ(コマ割り)」の有る無しでの、物語性の存在や空間の違い等を実感する。 |
|
2004
31 |
日本製絵画の追求から「漫画ドローイング」を継続しつつ「漫画」シリーズをスタートさせる。 「絵画的」と「物語性」は真逆の発展を遂げているものだけに共存させる事への試行錯誤が続き、抽象においてもそれらを一つの画面に閉じ込める事が可能であると知る。 どれだけ制作しようとも「時代性」や「展開,発展」を利用し試みようとも、西洋生まれのアカデミズム絵画操作を行っている現実に、これまで試みてきた事柄と書道筆を使う事で日本製を試みようとする。 この領域は非常に困難を要すると憶測し、当初から多方向に分解させ迫ろうとするが、求めているモノには程遠く、苦悩からくる試行錯誤が続く。絵画性への哲学を「展開,発展」させる事で飲み込もうとしていた自分を違った角度から見つめる目的の一つとして、幼少時代の絵を研究等も行い、芸術への思い、基盤構築への思いと共に、研究題材でもある「観る事の追求」へ割く時間が増える。 この年、誰にでも物が描ける様になる為の指導内容を確立し、"万人へ、描ける様になれる為の秘密を隠さず指導"を実践、絵画指導に力を入れる。橋本恭明指導の絵画教室が増える事にも伴って、暴露し他が言うに躊躇する事と"とどの詰まり"を指導するにしたがって、自ら絵画指導日本一宣言をする。 その他、様々な事柄に発言し変化願う事をコンセプトの一つにもしていたコラム「賛否可」を、そう変化してきた事と推測し、「賛否可」一時休止する。 |
|
2005
32 |
休止中コラム「賛否可」を活動目的から一時再開させる。 「漫画ドローイング」と「漫画」シリーズを引き続き制作し、新たな素材を用い「観る事の追求」を行う。 絵画として同じ素材と平面理念を扱う条件内では西洋アカデミズム絵画操作の全脱却は不可能であると確信、その上に立ち日本製絵画的を試みる為にも漫画ドローイングにて、書道毛筆を用い水墨画等や特に浮世絵作家直筆下図を参考に西洋絵画的と日本製絵画的との中和を試行錯誤、その先を模索する。 日本製絵画的理念が主たる理由の漫画シリーズに於いてこれまで制作に苦悩していたが、初めてオリジナルと考える日本製絵画的を一つの文化に見出そうとする。この事からこの年、漫画ドローイング(西日絵画的中和への試行錯誤)と漫画シリーズ(オリジナル日本製絵画的追求)の意味を持たせる事となる。 「絵画的と物語性」の関係について苦悩していたが、時間という概念が全てに影響を与えている以上、物語性は消滅する事が無い事実を制作に於いて実体化し、展開させる断片に於いてのみ具体的物語性排除の必要性、事実がある事を検証する。そして年月とともにその事すら物語性、時間的概念に飲み込まれる理念は前説が確定事項であるが故に避けて通る事が出来ないという事も痛感する。 絵画指導に於いて、その道の人が身につける絵画概念と技術や思考をそれ以外の万人へ分け隔てなく指導を行ってきた経緯から公式ページへ公開掲載。これらの事で、活動してきた美術系コラムと万人の為の芸術がある一つの形として表現出来た事により、11月1日、18日、これまで活動を行ってきた「橋本恭明スタジオ」のサイト概要とコラム概要の正式掲示を行う。この事により、印象派にそれを観、考えてきた人と芸術の運動、初の芸術家による芸術(人間)の為の芸術活動を正式表明する。 「橋本恭明スタジオ」を立ち上げた頃から何らかの障害が来す事を考慮していたが、2005年秋口から別な角度からそれは顕著になる。 以後、TV局芸能界の罪を含む。 |
|
2006
33 |
「漫画ドローイング」等シリーズを引き続き制作し、「絵画的と物語性」を継続思考。絵画芸術の起源と排除と展開の歴史であった事実を、これ迄の制作行程から一部逆説的立証を用いて追体験。物語性排除から抽象展開された抽象造形理論画面に於いてもそれが存在していた前説から、物語性を軸に制作しようとする流れと自身のシンボリック表現で具体的造形を用い、根本的な事柄を造形しようと試み始める。その時日本文化研究からその事柄を用いているとはいえ、「漫画ドローイング」以降の平面描画造形がコミック漫画媒体等の観念的造形を極普通に扱っている事と、描画世界でその事柄が暗黙の了解のうちに当り前の様に浸透し制作されている事に着眼。物語性とシンボリズム造形思考の制作と以前から表現描写していた「精神面」から、描く事の領域で根本的に存在している客観性と観念性を再確認のもとこれ迄とは異なる意識を持つ様になる。何らかの形でその思考造形を表現し原点としてもそれらを表現しようと試み始めるが、造形とした時の絵画的事柄の多さから考えている事と表現に複雑故の曖昧さを感じる。 初期公式サイト最後の更新と昨年末から続いていた事柄へのコメントを盛り込み、2006年2月25日(土)pm:8:00「最後の活動」として文によるメッセージイベントを行なう。2ヶ月の休養期間を経てその後、続編サイトへ活動を継続移行。 この年、2005年末から顕著になっていたTV局側の体質が杜撰な放送倫理と重なり、更に幾つもの罪を旋風し日々の放送とする。中にはその事実を知り改善しようとする存在も見られたが、メディアを持たない国とそれらの体質が災いし、以後もそれを継続し新たな何かを思考し始める。 初期「橋本恭明スタジオ」最終更新のイベントとして文による「最後の活動」を2月25日(土)夜8時に掲載。 昨年末に掲載していた続編サイトを(仮)表示として「橋本恭明スタジオ シータ」をそのまま休止画面、自身初の休養宣言を行なう。2ヶ月後に更新履歴を再開し、TV局と芸能界の動向を凝視。秋以降、「一言宣伝」として「橋本恭明スタジオ」の5年間とその出来事を執筆掲載。 TV局芸能界の罪を含む。 |
|
2007
34 |
「物語性」に重きを置き描くという行為に専念。客観性と観念性の平行思考から造形模索として色彩造形を更に簡略化、相互の現実的造形概念の思考有無とそこにある造形としてのみの時間外物語性、「絵画的」中和からのその有無を経過時間表現を伴わない物語性の根本的概念抽出としても根本的造形思考としても模索。簡略化の先きでデザインという言葉へ辿り着く。純芸術造形の歴史から造形面でのデザイン概念とその考察を行ない、歴史上の「絵画的」とするところを大衆文化の描く領域で極自然に存在している描画造形思考のドローイングでの逆なる行為で再思考し検証、「絵画的」概念抽出の模索も行ない、それを現在進行の「絵画的」の根本と考え始める。一方で現存する描画思考誕生から以後に言葉を持ったデザインのその概念思考を持ち自身のシンボリック造形へ、日々の簡略から得る造形に存在するその思考概念と照らし合わせ、その共通性有無と造形描画性を考察閲覧と模索。そこから得た純芸術抽出のデザイン概念を簡略した造形上で表現する方向へ流れる。「絵画的」同様の造形に於ける「デザイン」とは、象徴からの抽出や前例からの思考が存在する依存的感性を持つ為に一時、デザインのデザイン造形に困窮するが、大衆文化描画は「絵画的」から波状した歴史から、「絵画的」領域でのそれを意味とし波及したデザインとして思考造形する事で模索。これ迄同様、デザイン造形する事にも「精神性」造形を求め、歴史の中から精神造形を探り中和しそれを考察する事に楽しさと難儀しながら、人類が表現した造形とは「デザイン」したとする概念のもと、発達の1つ1つを探究。歴史上後に発生し平行してその意味を保つそれをこれ迄の流れを用い、逆なる行為で得た純芸術にある構造造形の描画を現代の絵画的根幹と捉え、それを「デザイン」と置き描画を始める。 昨年末から執筆掲載を行なっていた「一言宣伝」の最終話、2005年末から2006年初頭へ掛けての内容「脱出」を2月24日pm7:50に掲載。その後もTV局側の体質から新たな何かを思考し日々の放送とする。内容を知り改善しようとする存在も見られたが、開局以来持ち合せていないメディア構造が災いし、そして自ら起こした罪を覆う為に当事者等を軸に新たな何かを思考し始める。その後は芸能界の体質と個々のそれが更に作用し、再びそのタイミングを構え日々の放送とする。この年、マスメディアの体質からその倫理が無い事をそれら自身が罪で立証する。 3月に休養宣言終了を行ない、(仮)「橋本恭明スタジオ シータ」へ時折掲載していたTopページ写真のラスト「仮ΘラストTop画像」を、TV局と芸能界が起こす集団の罪へ向けて自身制作のデザイン性を込め2007年11月28日に掲載。その後もTV局と芸能界の動向を凝視。12月24日正式Θ画像UP後、Θ画像状態で休止中とする。 TV局芸能界の罪を含む。 |
|
2008
35 |
造形に絵画領域でのデザイン概要を用い、従来デザイン思考や観念描画に於けるイメージ等のそれとは異なる意識での芸術人体造形画をデザインするという観点に造形理論と哲学を求め、古典から続く流れとそれに置き換えた概要を基とする簡略化造形のデザインを模索抽出描画。造形学歴史から客観観念性思考のもとに簡略デザイン造形画として考察を行なったものの中から、歴史上の活版系描画から意図して描画され数十年前に独自のスタイルで浸透した現代に於ける「イラスト」の概要を、1つの芸術水流として繋ぎ合わせる思考造形学を形成。客観観念やシンボリズム思考有無の相互を伴う簡略化はイラストの世界観を含む造形概念の枠取りから、その概要と思考発達や歴史の存在を自身の反復描画にて造形、そこにある「物語性」思考からの時間概念有無も考察。そこでは同時に、制作行程と描画表現に於いては古典からあるドローイング造形とデザイン概要は満たしてはいるが、絵画芸術の歴史を「デザイン」という概念で置き換えられる実際がそれを単なる客観と観念の描画人物としての定義に論破させ、後者はイメージ抽出の描画枠に留まる観念造形記号の色濃い造形の仕上がりとなり、職業文化系描画との歴史上の辻褄と融合に芸術造形の雄大さ故の無感と浅はかな図形図を感じる。すべては「デザイン」とも云える「絵画造形」という思考現実の中、数度、絵画性からの流れからイラスト造形し思考造形表現へと濾過させ、「絵画芸術イラスト」とその構築概念を設定と描画、「精神性」を込め時間外物語性の物語描画を「三点概念」思考を基に「絵画的」造形からデザイン、再び考察のもとに濾過させ吟味造形した「デザイン」を本画として描き上げ、それを「絵画性」有無から発し一連の流れからの「絵画」「イラスト」「デザイン」から造形した「物語性」概要の「絵画イラスト」作品として公開、「キャラクター」という言葉を置く。その後、数年に渡る一連の思考造形行程から形成した「デザイン思考」の軌跡としての総合表現を、絵画芸術の造形歴史にあるドローイング概念表現にてデザイン造形したい衝動に駆られる。この年、「漫画ドローイング」以降から行なってきた絵画性に於ける西洋造形と日本製思考に、精神性,物語性,客観観念性,デザイン,イラストから基軸を得る。 2005年秋以降のTV局と芸能界の犯罪が昨年から、日常の盗聴盗撮から視聴監視へと発展。継続する放送を用いた社会的な犯罪はそれら媒体の体質を伴い、昨年末の意図的な集団による犯罪以降もこれ迄同様の洗脳誘導が行なわれる。TV局と芸能界が勧める行動で日々の放送を行ない、視聴者を洗脳する犯罪現象へと広がり、大衆から罪を負う者も増加する。TV局は開局以来、作為的な行為のみから形成するメディア構造と体質の為、膨大な数に上る方々は端から彼らの意図的行為のもとで無駄に人生を終える状況下である事をそれらマスメディア媒体自身の犯罪による行動で証明。2005年放送以降のTV局と芸能界は隠すべくして罪を繰り返していたその実態を露呈し、それら洗脳構造から彼ら自身これ迄の犯罪行為が実を結んだ事とする。 この年、昨年末からΘ画像状態で休止中にしていた公式サイトΘの正式コンテンツを2008年6月24日に掲載。以後もTV局と芸能界は日々の放送に於いて罪を継続。 TV局芸能界の罪を含む。 |
| 2009 36 |
|
| 2010 37 |
|
| 2011 38 |
|
| 2012 39 |
2012年掲載予定。 |