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こちらのページは、columns → コラムTop → 美術芸術 です。
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2008
10/13 (月) 85 |
今回はFirstでも綴った内容ですが、美術館系です。
日本には学校等の施設はありますが、美術芸術の世界自体存在しません。そこでこれ系施設の内容です。 何もない虚無の世界で何故ここが存在するのか、それはどんな状態や体制であろうとも海外巨匠の作品を展示し芸術と文化を注入しなければ、精神をもつ人間としても荒み過ぎるからかも知れません。他方かいつまんで説明すると、施設がある以上収入を得て存続する為と、海外の本物を観たい国民性だからです。 大様になくなった方々の作品の展覧会もありますが、基盤も無い以上、生前の活動を没後も自身の活動を繰り返しているという現状です。 古き体制も一部崩壊せざるを得ない現実が流れ込んで美術館も次第に変化して行っていますが、一方ではこの国に顕著であるよろしく無い意味での御約束繋がりが根強く残り、現代への対応すら考えるに及ばない此所の建物も存在します。その1つでは地域繋がりから存在し続ける幻のレッテル等も。 様々綴ってきた内容からもそこはこれ迄どうりとはいかない内容、事実、本当の意味で変わりつつある変化など脇目もふれず、それは継続させて来た不思議な繋がりを保っとうとし、そこを持ち上げるが常とする事でこれ迄もこれからも幻の歴史を誰も基盤等無いにも関わらず空虚にえがき、無駄死にする為だけの作家を結果的にも将来的にもその場凌ぎでやり過ごし、自らの幻覚性を保とうとする現状も少なからずあります。 美術界が空虚ではただの入れ物としてしか意味以外は持つ事も出来ないが、考える力を持とうとしない現状と相俟って新たな打開策を打ち出せないそれは、現実的には海外巨匠のメジャーどころをよべなければ、もしくは虚無世界にお金を出して展示してくれる無きで終わる作家に使用料を出して頂くかで、日々閉館の一途。 毎年の恒例行事としての購入は地域性から来るお裾分けで、大衆が何も知らない事をよい事に、その建物がこのジャンルを指し示す幻影があるが故に、現状で立ち返っては過去の行いが記されているだけに説得力も持ち得ぬ中、今年も同様の行事を厳かに・・・。人の世の常は・・・話し手もわかろうとしない、遠くの真実より近くの虚構。様々な事情も公開出来き表現出来る現在で無知なる者とステータスに拘る者の獲得に勤しむのみなのか。 江戸近辺迄の流れを展示する事は最高の美学。だが近代以降の流れは暗黙の了解で操作された芸術とはあるまじき偏見の世界。それはこの国の架空のサロン時代というべきもの。いや向こうはあれで良かった、サロンといえど描く心を持つ大衆が参入していた歴史だから。下手上手が時代を変えたのが印象派。 美術施設その中でも素晴らしい場所も存在します。事務員だけで構成された施設ではなく本来この施設は美術芸術普及の意も持ち合わせる理念が少しでもある職場の思想が生まれたのか本当の意味に近づき、地域に解放して万人が参加出来る芸術の普及に努める。人の価値観の認識力が遅れをとっている現状では、在りもしない虚像に慣れ親しみ流されているその他多くの同類場で粗末に見られているが、この少数派こそ本当の意味での美術館という概念を併せ持っている施設。しかし現行では美術芸術は偏見のみの世界。大衆に開放した事より先の万人が参入出来るそれが無い為に日常から別離した感性の地方集会所です。 そして大衆は従属と見栄が日常形象の面があるので、西洋の王道たるエリート列伝に自らのステータスを感じ、それを植え付けている事すら考えず存続の為それらからお金を頂戴する施設がトップランク。そのトップランクは他より安心の国営でこそなし得る大衆が読んでもチンプンカンプンなマイナー言語を羅列し知性の空気のみを与え、観ている大衆は自らの生活に気品を感じているが、その作品は西洋下流階級者が気付き上げた芸術。日本のそれには無い美徳と価値観に気付きもしない事は、自らの存在を否定している精神に現れ、自らが認められない存在その姿は、自身そのものというベールに気付きもせず、今日も何か信用出来ない空気に道を歩く。 |
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2008
10/13 (月) 84 |
今回は・・・流行。そして作家とは?制作や活動とは何だろう?系の内容です。
様々なジャンルの作家は時々尋ねられ疑問に思う事があるかも知れません・・・特にこのジャンルでは画材という高額なものを使い、幻影を追い求め生涯を注ぎ込み、端からメディアの無い国だという事に気付けず、当然の事ながら制作されたものは大きなただのゴミという現象が日本という国です。特に油彩系等は抽象表現主義に翻弄されて以降、文化が異なるにも拘らず巨大な平面を制作ばかり続け、展示としては巨大な額縁を揃え、基盤の無い世界に注ぎ込みそれを展示し、何事もなくそれが終わり、また繰り返してその後晩年を迎え人生が終わる。 何も存在しないほぼすべてが虚無に終わる世界での、有名著名?。First.コラムに近辺の内容を綴った記憶がありますが、今回も記載する事に致しました。 この国ではほぼすべての方々がそのまま続けていても形跡すら残らない端から論外の人生という話です。 このジャンルをされている方は必ずこの壁を見ます・・・それは一生続けていても端から何か違うのではないだろうか?という事です。知らない方やわからない方は作家活動に見切りをつけた聡明な小中高系美術の先生等に尋ねてみるとわかるかも知れません。その他多くの場合、虚無に虚無を思いえがいているので虚無を押し付ける場合もあります。もしくは物事そこ迄見るに至らずまだ幻影に縋っているかです。 First.コラムにて一部綴ってありましたが、読み手側がメディアの無い国でその形式に洗脳されている現状でそこから発進されたものではないという思考から、特有の従属大衆たる偏見が生じそれらは洗脳思考から抜け出せず理解出来ず、端から枠が意図されている作家の方々も状態を知って隠すか知られては不味いかで日々日常を過ごしているケースが多いです。 再び、 活動とは多くの場合、第三者の方々に見てもらう事で意味の1つを担いますが、そこに決定的な線がある事を御存知でしょうか?。 簡単に言うと、1つは表に出る存在、もう1つはほぼすべてにあてはまる端から無意味な領域の存在。 このジャンルではほぼ全員後者で、虚無の中に横一列という感じです。しかし虚無にも虚無にかけた苦労と立場上、色々事情があって様々不味い現象を避ける為に中堅や大御所といったどこかの芸能界というところと同様の言葉を使ったりします。ですがこのジャンルは彼らも後者です。現実的な要因は市場や基盤を創造出来なかったこのジャンルだけにという事になると思います。つまりわかり易く書くと・・・市場は存在しません。では日々展示を続けているのは何故と思うかも知れませんが、それはいつか想像しうるあの雲の何かへという幻影を求めているのです。誰もその様な人は居ません。 ここからは中堅以上大御所系話です。 書籍が主な媒体でそうしてきましたが・・・形だけですね。本当の芸術は売れるものじゃないという言葉もあります。確かに真の平面はある意味部屋に重たく日本では飾れるものじゃないかも知れません。ですが、そう、エゴを少し取り払ってみて下さい。この世界すべてが幻で、みんな空虚ですね。そこを支えているのは何か・・・それは無意味な人共々みんなで誌面を埋めて存在している様に見せていた、その年月だけです。つまり、誰もそう成っていませんね。知ってますか?、当初から基盤も市場もない世界にその人生と見栄を纏ってきた人生を。そうなれる様に頑張っているんだよ、・・・どう成れる様に?。 再び前者と後者の内容 ほぼすべて後者という内容で、では前者とはというところ。何故ほぼ後者を簡潔にいうと、それは、美術書籍は大衆のいない国での作家読本。評論家もいないメディアも存在しない世界で、形式上自己満足。その世界は大衆から形成していないからこそ市場も無く大衆と無縁、そしてそれを支える基盤もない。 それの裏事情はこれ迄のコラム等にも綴ってあります。そして何故前者という言葉というと、それは、大衆を洗脳する表に露出してそれらを従属させるから。つまり先からそれを説明すると、後者はどれ程年月を注いでもジャーナリズムもメディアもない世界で空虚の綱を持ってもらいそう見せていた書籍活動。現在はその意味は薄れる。前者は大衆を洗脳する媒体で従属させ、後者が晩年迄続けた活動をものの一年もみたなくとも確立洗脳。 その辺の前者の作り方と実例は今後掲載予定です。 あと心理的な内容。これ迄ある様に想像していた後者。それは媒体特有の・・・あの人は偉い人だからという奴隷的な従属心理もあるのかも知れませんが、そこに線があるにも拘らず、只ただ膨大な数の人が端から無意味と線があるにも拘らず人生を費やし形すら残せず人生が終わったという歴史。そう・・・そうなる事が目的ではないと思っていらっしゃる方々が多いですが、何故かお金を出して紙面に掲載してもらい大衆に見せている姿。そして無意味な存在。 両者の立場のとどの詰まりを知らないし幻影に知ろうとしないから?前者はそうなった事にそう成れる裏事情に口を紡ぎその他を無駄死にさせて偉ぶれるのです。これは大多数がやるも高齢になってもそしてもう死期が近い方も、この国では結果的に端から無意味な時間を過ごしただけとされる現状。片やそれとは端から違う形式で公という名のもと大衆の従属精神を操作する存在。 そして最後はお題と大衆から それがそれほど大切ではないと知れていない状況下でそこで大きな賞を取り、現行で名ばかりの伝達機関に歩み寄り、それがそれほど大切ではないと知れていない状況下であるが故にパブリックな人となる歴史。その内訳は前コラム記載と今後掲載予定。そして書籍媒体を出しているかどうかで可能となり、それを使い無知なる者に知名度を見せ、メディアの無い国の歩み方のほぼ唯一の手段としてのコネで露出メディアへ。書籍の事情は今後も掲載予定。過去の虚無たる幻影は先に書いた様に何もない。 もう一つおまけで他ジャンルの一時の知名度を持ってして普遍性を欲し流れ込んでくる人。ただしまだこのジャンルで高貴な経歴を持ち合わせていないと真のところで認められない現状があるので無に帰します。それらは現状では奴隷精神を持つ大衆を洗脳しているからこそ歓喜の作り話を流し当然の様に洗脳している様ですが、それら知名度からの幻影も残りません。 最後に 大衆は洗脳と従属精神で疑いようも無く見て来た幻影書籍美術界と、無知が故に逆に当り前と思う事すら出来なかったメディア露出系。つまりこのジャンルでの、流行、有名、当たり外れ、とは大衆の奴隷精神あって初めて基盤なくともある様に見せて来た幻影、そしてその廃墟。 それが芸術とは余程哲学。そしてTV局は膨大な数の無駄死にに大いなる功績を残し続けている。 追記2008 どうやら?TV局系での美術路線や裏、その方法や経緯等、様々な内容が綴れる事になりました。無駄に人生を過ごし亡くなった多くの方々。それは実はこの国にメディアというものが存在しなかったから起きた歴史史上最大の無知なる大量無駄死にの歴史。そこを突かれる事を避けたいのか勝手に考えこれ迄そう見せて来たTV局系とジャーナリスト、そして同様の形式を合わせ持つが経度が異なる為に存在しうる芸能界、そう、脱出も然り、そして仮シータラストの出来事、 その他、日本の美術芸術すべては新筆コラムにて。 |