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こちらのページは、columns → コラムTop → 美術芸術 です。
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2008
9/28 (日) 83 |
これまで美術芸術に関する様々な内容をFirstの方へ綴ってきました。シータにも美術芸術コラム継続です。今回はFirst.同様内容なので短めに。
あなたが美術芸術系の情報?を目にした時、それはこういう流れを目にしているに過ぎません。当然基盤すら考えもしなかったが美術芸術とする掲載が水準を描き、時代から西洋の文化圏に憧れを抱いただけで書籍業界をスタートさせてしまった以上、当然成り立つ筈も無いがその書籍存続の為に終始論外からお金を頂いてページを作り、無世界の表現と世界が継続しているかの様に映してきた歴史。それに載せてもらったが端から論外とされている事に気付きもしないが何故か必死に大衆へそれを見せようとし、それが聖書と信じ込む大衆はそうだと思い込むが当然意味も無くそのサイクルは無意味な付け焼き刃。美術芸術系を放送して文化がある事を示そうとするが現状も何も考えるに長ける者が居なかったせいなのかそれまでがあるからなのか他での架空と穴の空いたバケツに添え続けるだけの空虚な世界。それを増長させたところで無駄死にの世界。ありもしないが連鎖確立され無意味だがエゴを利用し利用させられ何も考えれなかったが故にそれを引っ張る他メディア。当然世界はありもしない。洗脳薬は飲み続ける副作用のみの架空。 |
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2008
9/28 (日) 82 |
あなたが知らない内容を何か1つ。
皆さんはどこかで美術芸術方面の作品を御覧になられた事があると思います、現在何処かに展示されている物や書籍関連等で。「あれ、何か見え方が似ているな。」と思われた事がある方がいらっしゃるかも知れません。今回はその疑問を綴りたいと思います。 先ず美術芸術ではとくに、古今の良しとされる絵画的や感性等が表現されている作家作品の表面を真似していないと「良い物」と思われません。そういう時期を経て自分のオリジナリティーへと向かって行くという概要が無いとは言い切れませんので、強ち宜しくないとはいえない面はあります。ただし見る側が何処かで見た、もしくは良しとされる作品の感性や見え方等がその人間の価値観を決定づけているという行為によって、教えられる側はそうする事が生きて行く為の選択として、無意識の内に何処かの作家を選び、それらから"ちょうだい"し、見る側も何処かで見た事のある過去の良しとされる感覚に無意識の内に「良い」としているサイクルは、何一つ打ち出せない美術書籍系の姿そのものとも言えます。実際この国では、様々選別している側がそれだから善しと見るしかない人間しか存在し生きて行く事が出来ないので、作品としてだけのオリジナリティーを出そうとするなら、海外の比較的マイナーな作家を選び、それを模倣するしかないでしょう。そうする事によってランクが高いと思い込まされている賞が貰えます。実際に学生はそうする事で褒められ、講師もそうする事で発言を持ち偉ぶれます。真に創造という事に於いて文化的疑問を除けば、何かを発明した人以外はすべて模倣という事になるでしょう。 但し"過去に見た事があったという感覚は"遺伝子としてそれらを良いものと判断"という目のみで選ぶ側がそれらを賛美している光景の連鎖は、何も考えず日々一喜一憂するだけの理屈でのみ割り当てられる芸術というすべてのフィールドの中のたった1つに他なりません。そして現状ではそれのみしか存在していないという事になるかも知れません。 数十年前からのインスタレーションや空間表現を現在表現で例えますと、 これは当時欧米の作家が平面終末を創造して展開させたものを表現に発生発展している様を先に綴った様に行いを持って経歴に支えられるという図式です。これらも実際はすべてと言ってよい程、海外のそのままです。島国なので裏に隠れている精神は「空間表現カッコいい、自分もこういう作品にする」です。何か巨大な物を目にして巨大な物を作り、発言する表現には自分なりの解釈を加えますが同じ様なものです。 例: 室内に置かれた巨大なスニーカー的造形物を観る。解釈も読んでみたり感じたりする。自らがその世界観でそのインスピレーション範囲内のそれ系を作る。時には大きな下駄や大きな洋服位にまで独創性?を変形させる。それを展示する。自ずと同じ様な概念的説明になる。それを伝える側と観ている側。 ここで活躍しているのがマイナーチョイス。日本の洋書屋さんは素晴らしくて海外のマイノリティーな作家の書籍が程よく並んでいる。この国では自分の作品を追求して行かなければならないその様な時期が来ると、程よく公ではないが過去から良い感覚を継承しているがメジャーではない陰に隠れたそれらを、好みで選んで自分を確立させようとする。それら自体を見た事がない方々が「この表現は斬新で新しい」と讃えて当人は自らのものとする事が兎にも角にもメジャーである事は否めない。古本屋や現在等でこの国の美術と称する類いの過去書籍を見れば、実はその物ズバリまで見てとれる歴史という側面のみの世界。すべては海外のマイノリティー作家列伝。 |
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2008
9/28 (日) 80 |
これまで美術芸術に関する様々な内容をFirstの方へ綴ってきました。今回もFirstの趣旨とその流れをある程度引き継ぎ綴っていこうと考えています。
当然の事ですが、色々な所で様々な美術芸術を目にし、時にこういう表現を聞いた事があると思います。「この人、有名な人」実はこの国でこの言葉は正確ではありません。概要的にいうと、ビジネスの為に作り上げられたもので本当の意味では存在しません。 巨匠と呼ばれる過去の海外の人物等は、確かに存在していました。ですがこちらではそう表現出来ません。海外のそれにくらべてこの国では「有名」という意味の根底を違った意味が支えています。俗にメディアといわれるもの等でこのジャンルの人達を紹介する時「この方は・・・で有名な方で。」この時既に洗脳と商売の手段だけのそれです。本当の意味でのそれが存在しないので大衆を洗脳する事のみがそれを作る方法です。時折ジャーナリズムとエゴも語れるおまけも付いて来ます。 大衆が知っている有名というものの定義。 何れ幅広く綴る予定ですが、美術芸術系に於いては、 *方や、美術芸術市場が無い為に、単数では力の発揮出来ない現状に同じ趣旨の元に団結し無知な大衆にその場篠木でもと、やがては生活も安定させる目的も望みつつ作った団体の上に構える人。現真実形は架空で、以下と違い枠外とされるが虚無に虚無を求め応募してくれる人があっての存在だが終始幻影。 *方や万人がそうする事が出来ない裏の壁が存在する、これをメジャーとその他に区分けする為の分別道具として練り上げられた書籍文化に在るからこそ認められた逸材?。 *方や、この方向でこれ迄それ以外なかった商売の目的を第一に好みで選び、売れているという謎めいた言葉で見る側の奴隷精神を利用し刷り込ませる技を使ってそうする存在。 *方や、真実を見る目を持たない大衆とそれを形成する社会に対し、そこを創作するよりも現にある良しと云われる言葉を求め魅力を感じる海外のマイナー系を選び、そうする事が日々当然の如く行われている現状に正当性を感じ全面に賞賛し、同じ蜜を吸う為に迷いも無く同罪の肩を着る真実性を得たかの様な幻想人。 この国では大衆も作られた存在なのでそれが生まれる土壌は存在しません。メディアとはただ単に自らのエゴでそれをコントロールしている以外存在しなかった事実に於いて、この言葉には論理上のそれとは別物の意味でのみ存在しているので、より多くの真実以外から作り上げられる方法解説を語る以外にその概要は無く、現在これのどれかを大衆は有名と読んでいるに過ぎない。 そして、それを使わないか使うことの出来ないほぼすべてのその道の者は無名と読み、これ以外無い世界で何時まで経っても論外とされる無駄な人生で終焉を迎える。続編で実例からその作り方と過程を説明予定。 |
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2008
9/28 (日) 79 |
Firstの活動を終えて休養期間の後、シータの始動となりました。
これ迄は、作家の単に作品展示や制作を繰り返すのではなくむしろ美術芸術の世界の外枠までも綴った内容で形成してきました。その中の一つとしては御存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、何かしらの愚行を含んだある集団を覗かせた存在もあった事は事実です。日々それを見つめて知らず知らずのうちに脳裏に焼き付ける現代のシステムが存在する以上、世にそれが蔓延る裏の事実の検証にも値する所であったと思います。そして美術界に於いても様々な如何わしい事や考えもしなかった事柄も綴る事が出来たと考えます。勿論日本はメディアの無い国です。大衆はその現状で人生を操作されているだけが実状。様々綴った以上、当然書籍やTVからでは伝わっていない内容からその現実現状をそれらで見るもこれ迄とは異なる意識になって頂けた面があるのではないでしょうか。First.以前は考えもしなかった美術芸術の薄明の国という内容。憎悪と内面を垣間見たそのラストとそれ以降。正にそれもメディアの無い国の唯一のメディア。このお題の名は坂本龍馬さんから。好意のある者達と悪意を持つ者達、無知が故にその感情で人が殺せる者と誰かが口走ったが為に洗脳集団心理でそうなる者達、ここの龍馬は自分達がすべてを操作出来るTV局という洗脳場所からの近江屋事件。私の額の一筋の凹みはその時のものではありませんが・・・脱出にて現在に至ります。似ていると仮想するならば、おそらくあの方は当時のその様な場所からの誰かに暗殺されたのでしょう。文献を見ただけで思うところは日本的な出来事の側面と、ある意味、暗殺というその時意味の無い事が行なわれたという出来事。彼は陰で操作しそれも完了していたので多くの関係筋はそうする事に於いて意味が無くそして大衆も無関係。よくいわれる敵対なら完結している筈が、以前の事からそれをしても事実の様にその時意味が無かった。通常この様な事は無知なる者が突発的に行なう場合があるが遂行具合と人数から当時の彼の場合それはない。天誅的意味なら余程計画的な無計画集団だがその時の彼にそれをしてももう遅い。敵対とそして事実名乗りを上げた者はやった事に対して挙動不振。彼が秘密に行なった何かを知っていた。現代の既存メディアは味付けし掛け離れた社会の様に伝えているが当時でも社会はそれ相応の倫理道徳があり相関図外者ではない。しかもそうなったという事実から彼がやっていた事を端から見ると、その瞬間は意味が無くその何かによって後に関連性が出てくる方向。それらが事に及ぶには通常既得かエゴが揺るがされる事。生きていればあれもこれも済んでいたので揉め事を避ける為に件を隠すもあるがそれによって何も起きていない。後に周囲で何かが沸いても有耶無耶に出来る組織考えと精神がある、現代でいうところの正当化もしくは都合の良い様に操作出来る集団、もしくはそれは無いと罷り通り敵対ではなくそこに居る人達の話す内容がそれぞれを洗脳し行動を形成する、大衆は様々知らないまでも彼にその事をされては不味い。理論上すべて可能ならば、陰での動きを知っていたという人物が敵対や天誅に似た事を遂行でそこにエゴがある。もしくは後で無知さと事の大きさと失態に汚名となり隠さざるを負えなかった精神構造の集団か。 |