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2010
1/28 (木) 97 |
今回は各科編.3です。
キャラクターデザイン科。 今回もこれ迄同様に初回から書こうと思います。 前回前々回と内容文を一部コミック風に記載しましたが、今回はリアル内容文を一部ゲームキャラクター風にて書きたいと思います。私は文化面での発生から展開と現在に至る迄のグラフィック系文化や娯楽目的での玩具からそれを用いたゲーム文化、大衆文化面での創造全てへ関心があり、今回のこれも消費媒体物制作段階で描く事の領域からしても芸術推移上当然同様のジャンルという事は、これ迄説明を行なって来た内容例と事象の上でも等価値の認識のもとである事は言う迄もありません。そして語る迄も無いかも知れませんが御承知の通り、ゲームという言葉の持つ意味にはここで記載するゲームソフト系の他に、紀元前からあるルールを置いた運動事から物を使う思考系玩具へも当て嵌める事が可能な事は、御承知の認識範囲かと思います。その上でこれは、俗にいうコンピューターによるグラフィック方向での記載に限ります。 その他説明と見解を簡単に表現します。 こちらもその発生から深化し続ける娯楽大衆文化であると共に、環境設定等も含めた幅広い意味を持つゲームとよく知られるグラフィックでのそれ。現在での文と認識に於いては、世代的に高齢の方が感想を持たれている事柄を表現するとつまり、古くあるそして幼少期での玩具概念の中の一つの思考となるかも知れません。この媒体では発生段階から一過性のみの興味とバーチャル世界を求める好奇心で投影された疑似世界に精神領域で観念を持つからこそ楽しむ為だけの主体行動に身を置き、欲求的に本能のまま一定期間を費やす目的に於いてのみ消費者にその表現を伝える事の出来る媒体である事は、事実の面があります。つまり一部好ましい物では無いというそれの認識がなきにしもあらずという事ですが、それと平行し浸透している母体の存在とその文化を広い領域で観ると日常から切り離す事の出来ない位置にありますが、その末端娯楽のこれは好奇心を伴う媒体であるからこそ飛躍的な発展を遂げている反面、副産物としては確かに悪影響があり、他の商売事と同様に消費だけの名目で投げやりに生み出されている側面もありますが、広域での個々の媒体発展では生命に近しい領域を支える迄もある事も、ここを御覧になられている操作時点での見識を想像するにご認識のものとも思います。人間の思考全ては想像回路で成り立っているとも表現出来、あらゆる現実事象の認識もそれを思考した体感であり、その論理としては脳が動かす有機体と表現も出来るものです。そこで話しを戻しますと、日常社会で切り離す事の出来ない発達の根本母体を末端表現で極簡単に触れる事が出来る副産物が、つまり"ゲームはやらない"や"子供騙し"等、社会日常生活内で会話されるここで書いている娯楽のゲーム、と表現可能な事は発達上側面からも事実だと思います。 現行の文化面に於いては、要らなくなり使い古された消費物の様にその全てが淘汰される消費商売のみの形式となっていますが、人間が創造するという思考のもとに尚かつ描画するという行程を合わせ持つ想像物である以上、その個々の制作段階に於ける描画物や物語も添えた仕事という集団表現、音声やその他諸々から終了とされた消費される目的に於いてのみの媒体もまた、一つの創造された芸術であり、その流れにある進歩と相互関係の個々発展進化して行くその時点での完成とされたゲームというソフト物もまた、時代を象徴する文化芸術と表現出来ると思います。人類がこの世界であるからこそ思考存在を持ち得た客観と観念を兼ね備えた精神、それであるからこそ生まれるべくして生まれたその本能をもとにした娯楽物。コンピューター文化は娯楽ゲームを伴ったからこそ飛躍的な発展を遂げ続けている現行事例と解説出来、それを証明する最たる表現媒体がゲームです。幅のある余談ですが、戦争があるからこそ発展発達する側面があると稚拙な論者が語っているかも知れませんが、結果として語るのならばほぼ全ての事柄に於いてそれを持ちます。 然すれば同様に、大衆が好む文化がありそれが深化するからこそ、発展です。 哲学上は前者もそれという思考が当然ですが、結果的には同じでも、雲泥の差があります。 多くの場合に一時期を自身の行動に於いてのみ消化する使い捨ての消費娯楽媒体の一つのゲーム。その収容物とされるソフトは、他のビジネス表現と同様の集団制作として完成とする行程で多くの人の手が加えられ、1つの総合芸術要素で表現された集団制作作品と見識する事が可能であると思います。現行では、その媒体の制作行程での説明イメージや設定描画は、娯楽として楽しんでもらう為にのみ存在する想像物制作行程に於ける一経過要素としての表現に思われていますが、つまりその瞬間のみの一過性で使い切る媒体を支える構成要素という事で認識される流行描画ですが、平面描画領域でのイラストであると同時に芸術事からも当然、切り離す事の出来ない1つの平面表現です。 商売であるからこその存在と継続表現の為、制作段階から消費目的で流行も考慮された購買の上にのみ表現される集団表現ですが、完成品とされるその物から表現された思考からは同様な表現を持つ集団制作の映像芸術同様の制作思考で構成された想像物の一端として、更には時間概念を合わせ持つそれである事からも極初期のそれも当て嵌める事が見識可能な領域と、それを持つ継続思考があります。そして前回のアニメーションや一部コミックとも同様の内容を含み、創造制作思考無き場合も同様どの様な表現手法であろうとも時間概念の恩恵に於いて否応無く濾過された制作物は個々の自由なそれに位置付けられ、この点の創造哲学からも普遍性を勝ち得る側面を持ち、芸術という殊に表現という領域では娯楽から発した部類の多くの人の協同作品もまたそして当然、切り離す事の出来ない1つの芸術表現です。 キャラクターデザイン科です。 先ず私が頂いたデッサン資料が書かれた紙へは各科で教えるデッサン内容が一言ずつ書かれてあり、これに書かれていた事は、忘れました。というのは冗談で、このシリーズコラムを御読みの方には御理解されている事柄かも知れませんが、ここも制作現場があるからこそ学校ビジネスとして設けられ、路線に進ませる事で成り立つジャンルの職という設定上、つまり指導に於いて必須のもと留意しなければならない事それは、持参する自身の紹介作品です。書いてありましたでしょうか?。当然これ迄説明の通り描く事の指導からもそして活動上からも、画力の訓練やその他諸々を行なう事は教えているという時間をスタイルとして空気的にこなす指導者ではない事からも、言う迄も無くその存在です。 私は指導とする実際現実上つまり再びの説明になりますが、特にこのジャンルの科では制作会社あっての設定された教室存在の為、紹介素描資料を制作させる事があります。そこには当然描けるという言葉で表現する描ける人、ここでのそれは自由なイメージによる模索から創造を定着させて行く事の出来る設定画力、そして概要からそれを行なえる思考、これがこの枠で大凡必要なデッサンの意味するところです。その他後に書きますが、初段階教室自体での設定概要が無かった事もあり、扨はジャンル自体で幅広く一度も触れず曖昧であった事もあり、意識のもとに重要なその意味付けも行なうという、設定を行ないます。 当初時の教室配置関連事からも、担当講師の方と様々なお話とその後も度々の状況内容と次ぎに行なうカリキュラムをお話し出来る機会に恵まれました。これはそれが無くともやるべき事柄では確定しているアニメーター背景と一部異なり、そしてある意味コミックに似た側面がありその事もあってのそれら内容伝達という場でした。 つまり他科では時にそれを行なえた場合も全く行なえなかった場合も同様にこなして来た事になります。指導期間もここが一番長く、当初無かった概要等を設定し尚かつ公開ドローイングから実演での絵画制作も行なえたジャンルとその期間です。設定自体とその指導内容が曖昧なままの状況であったが故に行なったその重要な設定は、教室名も伴っての方針と領域での設定、そしてその大本のイラストの概要とそれに必要な概念等諸々です。 それでは再び、キャラクターデザイン科です。 以前から認識していたその領域の知識とそして指導するという段階で、ここである思考を表現したその姿を非常にわかり易い角度で見識する事になります。それはゲーム科という事で個々の制作現場で作り出される玩具媒体の制作の一躍を担う描画職種、ビジネスに於いてのみ成り立っている方向の制作現場の会社に於ける描画系担当職という所謂描ける人、を育てる教室で設定された教室なのですが、何故かほぼ全員と感じる程迄に単独のもとに存在する作家、その意識で居ます。悪く表現するとその気分という事になりますが、芸術を行なっている側面からもそれ程その事に付いて異論はありません。当然良い面もあります。話しが異なる様に聞こえるかも知れませんが、先きにこれはこの内容と異なり後で直ぐに聞いた直結する事とは関連の無い話しになりますが、私が行く以前に粗暴粗悪な講師が居たらしくその後の遺症的な側面もあったという事ですが、ここで私が下記に説明し書く内容はその個々の講師に対する劣等感ではなく、制作現場へ入る事でのみ存在が成り立ち意味を持つその科のジャンル存在が当然の如く持つ意味、での話しになります。これはその時点での私の推理も加味してですが、一つには学校という教室自体でこれ迄ここをそれとして形作らず曖昧なまま過ごして来たという事と、もう一つこれは重要な視点ですが、教室という状況期間で描く事すらままならない方達に全くと言ってもよい程迄に路線へ進まさない状況を形成させた、つまり言葉を言い換えると、制作現場すら眼中に触れずその教室期間時点で所謂著名作家として存在する思考を形成させた、という存在ありきの現象です。もう一つ言うと、その事に於いてそれ系ジャンルの作家が居るのではないか、と考えられます。単刀直入の安易なそれも聞いた事のある内容では例えば、目の前に80万積まれてイラストを描いて欲しい、と言われる等。これは私自身がこの現場で聞いた言葉ですが、以前にも書いた事のある入り浸っていたらこの科の1年担当のデッサン講師となったらしい人物が目の前でその様な内容を生徒に話していた事と、そこには私の知らない存在するイラスト作家からの発言をもとにした安易なそれとする説明が感じられます。この時は休憩場所であるその現場に一年が屯していましたが、当然その瞬間に生徒へはここに於いてそれが誤りである事を伝えたのも事実です。この事に於いてもそして存在の意味するところに於いても、指導中幾度と無く路線説明を交える事となります。路線へ向わすべく説明した内容の一端ですが、このジャンルのつまりイラスト方向の作家は集団制作での一制作職として全体で販売物を作る事に於いてのみ成り立つ存在から、当然当初現場に入り、その後存在を個に意図する者が独立し、その様に見せている姿です。憶えていらっしゃると思いますが、これは初めて代々木でお話をさせて頂いた時にも卒生のイラスト展示場を回りながら私を担当へ設定して下さる某上役の方とも話した内容で、それ以降も消費媒体のそれである現状とそこの現場状況である事から、その状況にあっての存在理由とその上での表現者とその商売をしようとしている会社である以上、つまり今書いた事は現状では動き様の無い存在理由であるという事を路線へ向わす事として説明します。説明や話しでは概要概念領域の時は別として当然この様な言い回しは行ないませんが、ファイルも見せない無い素描も描かない然も関係ない授業という姿で、更に描く事を身に付ける状況に身を投じての現状その素養すらままならない状態で、職種描きのみで存在出来る制作職ジャンルで何故にゲームキャラの設定を書いて下さいと何所の誰が言うの、と感じた事は言う迄も無い事かも知れません。 教室に入って驚きましたが、ゲーム科の利用可能資金が多いのか人数に不釣り合いなだだっ広い教室。その後他の教室に入ると本当に窮屈な教室、これは何かある。中盤辺りから更なる新たな賃貸校舎へ変わった事はウォシュレット完備の事もありさておき、キャラクターデザイン科だけが本当に広い。コミックは二十数人居ても通常学校教室と同様の敷地でしたが来る者十人を満たないそれでそれの4倍、いやそれ以上。これは後で聞いたんですが、ゲーム科の担当者に影響力があったという事になると思います。これはここで関係の無い話しですが、私はよく言っていたので書きますがそして聞いた方々も多くいると思いますが、私は親しくして下さっていた方々へ「この人がここで一番上手い。」と原図を上げて説明し話したのも事実です。描く事の指導をせずの方ですが、私が説明していた自由な融合的造形の説明にその方の原図を使った事もあります。恰幅の良い方ですおわかりでしょうか。話しがそれたので戻しますと、つまり様々な要因が偶然のもとか編まれ、先きに書いた職描きと別離するかの様な不都合な思考要素があったという状態にも拍車が掛かっていたのかも知れません。 それでは今回も当初辺から、 先ず他と同様に私物を描いてもらいました。初回は講義形式を取りましたが、これ迄何となく通い雑談しながら時にPCを触り何となく帰っていたのが当り前だった世界に突然、教室らしき存在が形作られた事への違和感も憶えたかも知れません。普通の事ですが、そこにはありませんでした。それが好き嫌いという事ではなく、初めてのおつかいならぬ初めての描画部屋みたいな事。先きに科の空気的内容に触れますが、これ迄これ系所謂アニメ学校は興味本位で何となく支払い何となく行ってみるという実際現状があると説明しましたが、付け加えて先に書いた上記内容がある以上、どの科よりも蒸発人数が多いのが、ここでした。設定も目標も無いので日々多くの者が、神隠し的素早さで居なくなります。これは立証と設定を伴っていますが、こういう事という路線の筋を付けなければ、来て大半を友達と話し自由に過ごす時間の中で概要も持っていなかった何となく弄るイラスト領域のものを時たま触れ、御飯を食べて、帰るだけです。後期日程時でもそうでしたが一年の教室に入った時、親しくして下さっていた方に「今何の時間をしているの?。」と聞くと<何もしていない>と苦笑しながら話されていた時も事実、部屋を見渡しても好きに自由に過ごす生徒の姿がありました。これは一年なので二年の事を書きますが、他の科の指導時間後に時間外で他授業教室を見たりして回っているとそこには授業時間に携帯ゲームをしている集団が。指導のキャラデザ科です。何故に放っとくのか何故に何もさせないのか。これは後々わかりますが、代々木では生徒を叱らず仲良く過ごす事で生徒が来てくれるそれが、代々木アニメーション学院だそうです。 再度書きますが少し硬い内容で書いていますが、次第に一部をこれ迄同様にゲーム風表記で書きますね。 講義らしい講義形式を行ないボードで説明してから「その私物を描いて。」と伝え、描いている共有空間のもとで列事に観て回ります。観て回っている時に腕の隙間からすらも自身の描いている絵を人に見せない様にしてはいけません。何所でも最初に描いてもらうのは平面に立体を描くという近代以降の面の意識、つまり自身の描いた私物画に光から生じる面の陰影を付けてもらう行程なのですが、当然の如く好き勝手に自由なまま経過して来ている描画スタイル図なので、光の部分も陰の部分もバラバラの図です。他でも同様に説明していますが、平面空間での光を伴った状況設定伝達描画の指導ではこれが一番大本の原理です。このジャンルでもこれは使う使わない以前に平らな画面に視覚的な三次元を構築したい時の重要な表現要素の1つです。顔もそっぽを向いて会話はまだしも一対一の説明事に頷きもせずでは、・・・先生・・・ 折角の薔薇色のひと時が・・・ロンダルキア・・・お願いこっちを向いて・・・アレフガルド。 ここで以降の内容に繋がるという事もあり、外と内からの作家という内容事を何故か少し書きたいと思います。 先に書いた様な状況下にある場合、その思考の中にあるのは自らが創作者で他の意向も意味を持たない単独のもとに存在する表現者、所謂一部作家の姿と言うべき主張です。そしてその他には初段階に於いて絵を描かれない方は何となく理解されるかも知れませんが、自身の描いている絵を他人に見られるのは恥ずかしく感じる思考が働く面もあるものです。ここではその事を深くは書きませんが、観念描画に於いても自身が描いた形状が平面世界内での線内構造感が造形として保たれていないつまり、絵を描かない人同様の描き初めて間がない状態の線質で先に書いた様な表現者の姿を纏う事は、あり得ません。 これは同一の話しではありませんが、私は内容をお話をしに行った初めてのその時から、分け隔て無く誰にでも教えている事と活動も説明し、新校舎移動となる迄の期間中はそこの受付の方迄にも度々「絵を描いてみませんか。」「何か描かれましたか。」と立ち寄っている程に作家として表現してみせる事を、つまりその様な存在になる事を進めていました。この科に限らずアニメーターや背景なら会社の一つの描く担い手としてだけでは無く芸術表現の参入者として活動出来る為の事、コミックでは古き素描芸術家から流れる現代の美術として一過性の大衆娯楽思考に終わらず芸術表現者としての存在の在り様として迄も、そしてここでは同様に、使い捨てのゲーム表現からそれら設定原図やイラスト方向もそれとして。これらは一度は説明し話した内容です。が、先きの内容は当然全く異なります。 話しを戻しますと、自分達の進む方向へ必要な作品を作る事の重要性とその位置が、宙に浮いた教室状況と共に個々の思考のもとでも存在していない。駄目よそんな事では・・・だめ・めよ・・・昇竜拳~~~!。 それらは自分には関係の無い事という考えはその空間全てを打ち消す内容を持っています。ボードへ描いたり説明して回ったりと当り前で普通の一時間程の教室時間の後、20分程休憩を挿み後半の教室の段階で・・・存在がなくなった者がいる。他科指導の直後にキャデザ2年は崩壊している現状も聞きますが、残り一時間弱も描く事が出来ない何か用事があるのだろうか。おそらく察するに・・・それぞれのキャラクターをデザインしたのだろうと推測します。その後直ぐに時間を掛けての素描作品に必要な物とその内容を説明し、人物風景画へと入ります。これは時期としても他科と同時進行の然も同様カリキュラムですが、それぞれが若干の異なる意味を持ちます。更にそしてその他、ここに於いては諸処の現状からつまり、私達には関係の無い事ですと言い切る存在へ・・・ちょっぴりおとなの一喝が飛ぶのは・・・その数週間後・・・なの。 時間描きによる人物画の時の事を書きます。 当然会社目的での必要な紹介作品です。その他では自由な想像のもとにイメージを走らせたキャラクター的人物や生命体も指導に入れますが、これは枠としても週に一回の僅か二時間程、風景とともに1~2枚程挟むだけの絵画平面作品なのですが、・・・来ない。先に書いた様にアニメ方向の学校は一つの衝動的な意識で通う興味本位の側面もあり、一般的なそれと比べ直ぐに辞めて行くのが極普通にある習わしの様なものとしてありますが、この科は他科よりも群を抜いて頻度が高い上に・・・来ない。 先に書いた端から制作現場への路線を度外視し当初から単独作家的意識で自由に過ごして卒業としていた科の在り方と、後で書きますがその科の内容設定の曖昧さから目標が無くしかし描かれた物や娯楽物は好きなのか、読んだり携帯ゲーム機をしたり・・・来て。 他の方向付けがあるが故の確立された路線を持つ教室でわかり易くいうと、アニメーション方向では進むそれが程よくわかり易く、その為にそこの在る意味とその後担当する部署の作業や事柄が大凡了解されている為に、自ずと教室の土台がその先きを見越して張られていますが、キャラクターデザイン科は確固たるその指針がありませんでした。そこでそれら設定も指導進行内容と共に行ないました。・・・キャラクター設定であるだけに・・・設定・・・ふふ・・・ふ。 題目を変えて再び書きますが、写真を用いた一度は経験しよう時間を掛けての人物画。 こちらでも当然、紹介素描作品としても絵画平面を経験したという事でもと考えて、他と同様に置いた課題です。社会現実面通りに、これ系方面では深化し続ける媒体で然も好奇心のみの一定期間の娯楽を目的とした使い捨て側面があるだけに、更に所謂ハード主体面での製作に寄り掛かる表現であるが故の領域なだけに、CDG方向同様の社会事情を突きつけられる事が意識の片隅にあっての、その後移動時に前者で行なった仕事履歴と共にここで描く以外は描く事の無いであろう絵画素描、と置いた貴重な、絵画素描時間です。雑誌の切り抜きで良いと言っているのに、二ヶ月以上も持って来ない生徒とはどういう事・・・。説明した通りコンビニでも旅行代理店の店先でも無料での風景人物写真が手に入ります。教室にあった雑誌を持って行き、これが構図が良いからこれにしようと広げて描ける状況を設置し、説明しようとすると、<いやだ>という。 ・・・先生そんなの・・・。・・・いや。 必要な物等も細かに説明し話しているのに、画用紙すら一向に持参準備出来ない。鉛筆が無ければ話しになりませんが、シャーペン信者なのか絶対に手から話さない強靭な精神。画用紙には描きたくない鉛筆は使いたくないで、コピー用紙上にシャーペンでボギボギ音を立てながら頑張る光景。 人生のひとときに・・・一度くらい・・・そう、一度くらい・・・そうなの一度くらいは・・・ 画用紙や鉛筆を使う事があっても・・・大丈夫よ・・・。・・・先生が観ててあげるから・・・。 時間描き内容では、他のアニメーターと背景では急ぎの意識で格子状を用いた模写行程を行ない、コミックではその点にそれ程重点を置かず平面上で絵としてもらいました。CGデザインではグラフィックである以上その点を需要しして図の如く置き描くです。そしてここでは群を抜いて平面絵画と別離するそれという事から描写面でのそれが行なえない実態と先々にそれ程流用しない事を踏まえ尚かつグラフィックのそれでもあるので、CGデザイン同様に格子線からの位置確認に重点を置きそしてその後それぞれが平面絵画出来る絵画事にする為の、程良い描写をします。鉛筆すら絶対に持って来ない生徒の居る事居る事。人生に置ける貴重な描画期間かも知れない時期をコピー用紙と心中するその格闘魂が、よそ者の鉛筆として他を、一切寄せ付けません。下の購買で備品購入として画用紙を受け取り、ぽつぽつと登校する一向に描く素振りも見せない生徒へは渡して回りますが、<要らない>、とはどういう事?。あっ、あっちに何かある・・・爆砕旋風拳ーーー。 一定期間を掛けて食らいつき、画面隅々迄も確りと描き込んで行く為に必要な、画用紙。その画用紙に0.数ミリのシャープペンシルのみでしか、描きたがらない生徒。仕方なく備品の鉛筆を持って行き「これで描いて。」と渡して上げても、シャーペンを離さない。トーンのある室内キッチン写真を描いた絵が、極細線のペロンペロンの気薄なそれとなっても、そこにあるポリシーだけは当然尊重もしますが、120円の鉛筆位は持って来なさい。この場合<お金がないから買えない>は通用しません。 ・・・もう・・・先生ね、今日・・・色々準備、出来てるの。 描き始めた生徒の絵は当然平面絵画とは掛け離れたものですが、それは良いんです。これは説明した内容事で、当然絵画芸術として行なって行かずとも一度は経験し習って差し支えない内容である事と、他科同様に個々に付き添っての説明と直描きによる指導も行なう時間です。そして後でも説明しますが殊にここで行なう事は、実際現実も加味した想像観念による自由なイメージによる造形とそして重要な、状況説明事の描写設定概要とその伝達レベルでの個々の画質に、重きを置いているのですから。 それにしてもこのジャンルの路線にも向わずのその意識からしてもそれすら、全然描きたがらない人の多い事。路線設定を望まないが何故か、それは高額のお金を支払って学校に来る姿が醸し出す、すべては関係の無い事としての悟り解脱なのか。私もアニメ系学校の他と異なるやりたい様にする生徒の姿と文化面での空気感と実状を知っている事もありますが、生徒が実際に口に出して言うものではないかも知れません。<ここで、好きに描いているだけ>、<私は、制作会社に行かないから>。・・・せ・先生・・・トイレに行ってくる・・・。 時間描き全日程を頑張って描いている生徒も数人ですが居ました。この期間制作した絵画作品は、人物主体素描と風景主体素描の二種類です。再びそんな中、何をする事も無く先きも無くだけど何故か通い、描いている人の居る空間で粗暴に振る舞い過ごしている方達へ、私からの・・・優しい声が囁くのは、この後すぐ・・・バイオハザード・・・。 再度、絵画平面が描ける様にという事よりも説明した通りに、会社持参の人物風景時間描きで、それは説明した通りに以後描かないであろう事からも今後同ジャンルの他へ渡って行く時も持参使用出来る、過去の参考とされていたファイルにも存在しなかったしかも現実面からも会得推移側面上からも、言う成ればそこの講師も描いた事も無く経験していない絵画作品です。風景や人物と呼べる代物も無き世界であった事も拍車を掛け可成りのレベルのある初めての代物になったと思いますが、科の担当講師へ今後参考に成る説明もしましたが、選別してコピーを取って下さっていれば、それは以後使用出来ると思います。休まず通って仕上げての個々にそれを挙げていた生徒の作品参照。手元に渡して内容を説明して名前を上げていた方達のです。 それとね・・・もう、鉛筆はね、聖なるほこらで虹のかけらを使うと・・・画面が光って頭上から舞い降り・・・手に入るの・・・。 多くの生徒はその先きへ進まないという思考がそれすらも描かせたがりません。先に書いたイラスト方向の表現者とはそういうものではありません。いち早く仕上がり風景や人物のみの平面画へ移行する者も現れた頃に描き始めてくれた生徒も、この学校で唯一それをしている私がそれを仕上げさせてあげなくてはならないので、隣の席につき直指導しながら説明しますが、未熟さから後ろを向いたり話したり説明を無視し午前の前半時間で勝手に切り上げて描いた、とそこの講師に伝えそれで終了したとする方もいます。この科の2年担当の講師とは他以上に疎通可能な状況であった事もあり「三割りしか描いてない。」と私が話した返事に<仕上がったって持って来てました>と教えてもらいました。・・・こらこら、人を落し入れる表現をしたら業界特有の体質になってしまいますよ。学校として当然の事なのですがそれをしていなかった事と、他同様この科でも初めてとなる個々での説明と直描きも交えた指導で描き上げさせようと、時間中回りました。社会では学級崩壊という可愛い言語が存在しているらしいのですが、画用紙も無い、写真も無い、しかし何故か来ている、だが、数人のつるんだ生徒と大声で話すそして、携帯ゲームは注意する迄延々とやり続ける。これは一部の方では自我との葛藤が見え隠れしていますが、従いたくない、けど来る、しかし絶対に描かない。格好悪い。 それぞれを観て回って隠す腕の隙間からコピー用紙に何しているのかと観てみると、数人で雑談しながらあても無くただ線が引かれた様な何かの走り描きとも言えない代物。時に雑談で出てくる何かしらを説明したもの。一工程も行なわず、何もやろうとしないが、来ては大声で話しているので、 「それ何?、何してるの。」と聞くと、<描いているんです>、と返事ワン。 「何描いてるの?」、<先生、ぼくに聞かないで下さい。>、と返事トゥー。 「なら、他で描け!。」、非常に大きな声で、イエス。 それ也に意識して雑談している事もありそしてそれ程に意図的な大声での雑談の話題が敢えて続く事も無いのは当然の事で、静まったり再び甘えを伴い意図的に大声を張り上げたり。そしてひたすら大声を上げた時、オーイエス、 「うるさい、静かにしろ!。」と、アトランティスの謎・・・。 以後、存在は消息を絶ちました。週に一回のデッサン授業で残り全てはその科の授業として置かれている自由な時間と遊びに行っている一時の部屋。一部は路線に進まないとしても担当講師に縋り、残りを過ごされていました。最終日付近に勇気を振り絞って隣の部屋で当初から暗躍していた講師達と聞こえる様に頑張っていました。それは描きもせず一年間過ごして放ったらかしにされていた生徒自身の事実を度外視しして、彼らを教えもしていなかったそこの当事者達との、仲睦まじい意気投合です。再び、時間描き素描は風景と人物の二種行ないました。当然、仕上がる迄、個々に直指導を行なってでのそれです。 次は、描く事の領域であるからこそ、そして画材という事で知られた世の中にある描画物素材を用いて、自分が使いこなすアイテムの一つとしても描く事を行なっているのだから持っている事に越した事は無い事に於いても、更に描画人生が終わるとしても一度は経験して於いても、と置いた色彩を使ったカリキュラムです。この世の中の空間に現存する作品という事でよく知られている人気のあるイラスト画が印刷されたイラスト本を参考に用い、そこで使われているそしてよく使われる画材をピックアップし説明しましたが、後で好き勝手言っても駄目ですよ。知って下さっておられる方々には手に取る様にわかると思いますが、代々木ではそれが当然として本当に好き勝手言っています。再びもう一度、この事だけに限らず、後で好き勝手言っても駄目ですよ。それでは色鉛筆、コピックやマーカーそして透明水彩等を用い、カラー画材を経験させてあげようと設けたカリキュラムの内容を書きます。 誰一人彩色画材を持っても来なかったので、スルーします。然し勿体無い。 という事もあり、瞬時というべき事前というそれか、事前に担当講師と「次はこういうのをやろうと思うんですよ」等と話していたその設定。キャラター設定領域での概要や実制作行程事とイラスト概要から実画、の内容に入って行こうと思います。それはキャラクターを作るという概要からその設定迄の重要な概念を、実画を用いつつ行なった内容です。時間描きが終わったという事もあり、あやふやであった教室方針事と更にジャンル専門内容共々、一部史上初にてお送り致します。 CM: 一騎、やらせてもらってもよかですか?。 それでは内容です。 簡単には説明しましたが、突如としていきなりにキャラクターを設定した所謂、設定図、を描かせるという行為から行ないませんでした。それはその構築された概要から線を走らせ模索し表現説明しようとした、つまり概念を伴い辿り着いた設定図のあり方、では無い状態であったからです。そこで先ず、それ迄教室の壁面等に参考作として貼ってあった以前の物や近年のイラスト画を例に説明として用い、イラストの意味とそれらの構図のあり方から説明。それはただ只好きな風景の前に立たせた何かしらの人物の絵が考えもせず漠然とした認識のもとのイラスト、であったからです。この事に於いても事細かに内容と全ては設定という説明事も同時に説明を交えましたが、これは誰でも入り易い作風領域なので広く簡単に説明すると、例えば、 「レンガ風の前に立っている人は、何をしているの?。」系 よくある魔法系が好きなのかそれらしい服を着て暗がりの下水っぽい空間に立っている人を描いた感じで、突然登場する漠然としたイラストに多いパターンの一つ。 「この戦士は頑張って戦っているけど、若干・・・左に寄り過ぎよ。」系 これは草原らしき所で動き易い戦闘鎧を身に纏った戦士らしき人物が一人、前に何か居るのか、描けば依存症の様に武器を持ちアニメ風決めポーズを取っている場面。登場人物が画面片方へ寄り過ぎの為にイラスト構図としてもよくありがちな、散漫配置の説明。 「あれもこれもそれもどれも・・・お祭り。」系 これは戦士だけど魔法も使えて、農地だけど西洋古城もビルも欲しくて、西洋ロープレ風パーティーコスチュームだけどこんなのも好きという気持ちで取って付けた様なてんこ盛りの図。風景地形や建物が欄列し、バックや地面には魔法陣が敷き詰められていたり状態。更にその為に画面に抜けも無く観た瞬間に何がどうなっているのかよくわからない図。 「おしい、ギラギラするの・・・それが。」系 伝えたい事等をシンプルに纏めてあり表現の意図も理にかなっているけど、色彩の概念が色を塗ればOKという思考から、観た瞬間に色彩が手前からと奧からと輪郭造形に関係なくバラバラに目に飛び込んでくるの図。 「これはイラストとして構図も良いし、意図も伝わってくるし、画面も良い。」系 単品上でのイラスト画としての表現と意図がある良い図。あとはその裏付けとしての世界観設定資料と自身の持つその概要があれば、一作品。 よくありげなパターンの一例は大凡こんな感じです。イラストの概要説明も行ないました。描けば何でもそれと可能な幅広い領域を兼ね備えていますが、好きに描いた絵をそのまま"イラスト画"としている様では、設定上からも平面上からも様々な事柄が抜け落ち、このジャンルの意味するところにそぐわず、そこでは初の事柄でもあった為に指導出来るラインすら持ち得ない事象であった事でそこ自体ではとやかく言えない面がありもしますが、それが無かったとしても描く事を指導していない現状に於いてでは高額授業料は勿体無いと言わざるを得ないです。この時はその他諸々、イラストという事とイラスト画という領域等々説明を行ないました。これらは当り前の内容にも感じられますが、そこには存在していなかった事と、更に世の中的にも初の事柄もあります。その他複合として記載してありますが、一部ドローイング付きでその他描画表現と概要も交え、drawing色々ページへ様々解説掲載してあります。 キャラクターを想像するという事に入ります。 これは世の中にある様々な物、写真からでも現在世界に生み出されているデザイン的な物からでも自由に組み合わせる事の想像で発想し、自身の画風でイメージを追い掛け、伝えたい表現に模索し構築して行くという内容。よく知られたデザイン画スライムという造形を例に取り、その概念の一つを説明もしました。スライムからデザインという概念を抽出し、果ては一つの想像による結果として例えば、貝殻が付いたものやクラゲみたいなものとかですね。その他様々説明した後、再び、イラスト画を持ち出し説明します。大凡こんな感じです。 「この絵は怪獣に股がってジャングルの中を走っているイラスト画。それは知っているこのキャラクターの概要とその後のキャラのストーリーのある歴史、そしてその作品中で周囲のキャラ等によって演出されあなた自身も認識としているそれら世界観からの説明、それらで成り立っています。」という事になります。つまり知っている設定があるからキャラが成り立ちそのイラスト画が成り立っているという事です。これは当り前の事ですが、誰も先人のもとに設定を確立させて来なかった事も災いしてかその事からも大切な思考を素通りし、その重要さを考えず浸透してしまった事象です。つまりそれらイラスト画は、制作段階から意識された場合もそして意識しなかった場合も、結果的にはキャラ的造形を背景風景上に置いてある安易なイラスト画であっても、そこにはその裏付けがあるという事。この事は週を跨いで数回に渡り時間の初めに、その都度ボードへ描いて説明を行ないました。 更に説明付属品として図鑑やゲーム本等も参考に用い、単に描写しただけの意識では無く当然の様に自身が描いた物を説明出来る事の認識を加味するそこにも、設定事項があり思考されているという領域です。時代性想像を加味した所謂装飾品系の説明も行ないました。それはここである不可欠な設定の確証というべきものですね。トレース線質も個々ですが観て説明しましたが、その内容も伴いそして線で観せるからこその、線の授業も行いました。線は精神と表現出来るものでもありますが、ここでは造形面での説明内容です。更に服装を着ているからこそ当然、人体造形との差異等の説明も生じます。この時は裸婦人体像を描いてもらった後に直修正を行ないその後、人体造形を考慮してそれに自由な服を着せるという行程です。この辺りと先きの説明時のボード描きもページの何処かへ掲載されています。そして線質とコスチューム差異等の内容は、コスチューム.1等へも掲載。 余談な補足ですが、絵画芸術に於けるイラスト概念のわかり易い事例は、御存知の方もいらっしゃるかも知れませんが所謂、古典時代の宗教画です。描かれたその絵にある設定は、神話や某宗教のお話という、設定です。これは見事に見識の事例というべきものですが、後に思考されたその言葉を用いるとするならば洞窟壁画自体、設定という事になります。つまりこの説明で、芸術軸でのこの領域の為、この事象に於いても概要を合致させた事は、想像された通りです。 教室内容事に戻り付け加えると、思考基軸から一つ一つ構築し進む過程を科の指導の路線で簡単な内容事でもイラストに意味を与え設定して来なかったから、ただ何となくその学校期間を過ごし何となく描けば暗黙の了解でイラスト領域のものであるという湯船に浸り、別の意味から一度も手直しを受けずやらなくても何ら何もない数回のカリキュラム経過に満足して、つまりその事に於いてもそれで、ダラダラになっていたという事です。 この辺りの概要をボードに書きイラストをもとに描くという事も交え説明表現していた時、このジャンルを管轄していた恰幅の良い方から何か言われたのか、暗躍していた講師が席に着いて時間中講義を聞いてメモしている姿を目にします。・・・忙しいので放っときました。 内容から指導の話しに戻ります。イラストの理屈というべきものからイラスト画を説明し、設定という意味とこのジャンルの設定画を設定しての、先きの自由な想像による発想のキャラクター設定の走り描き、を描かせます。どんな物からでもどの様なイメージ定着でも良いのですが、手が重く描くという事へ中々思考が向きません。これは当然の経験で、さて描きましょうで描く事は、この類ではある意味不自然です。事例の一つとしても要素のそれとしても本や写真図鑑等を置いて説明します。そして個々で重要な、肝心要の内容を話します。 育てているキャラクターはありますか?。 これはここでの最重要事項です。キャラクターデザインとある以上、当然描く事の素養を鍛えつつ同時にその辿々しい段階からしても一年時から、自身が造形し温めるキャラクターを持っておくべきです。というよりそうしなければなりません。描く事も疎かに過ごしジャンルの意味上でも表現出来ない状態に、・・・先生・・・帰りにそこの店でソフトクリーム食べながら帰る・・・。 この時辺りの指導時間にもその場で多くのキャラを描きました。コピック使用という事と私が時間を掛けて描いている場合ではないのでハイスピードで連続的に描いたものですが、その内の幾つかを解説します。 一つは、説明の為の走描き.2の2参照。比較的年齢層の高い方々は見覚えのある画風に思われるかも知れませんが、古い時代の挿絵的キャラクター群です。私はその時点のみとか現在時代その瞬間に流行っているそれだれに流されて描く表現では行なっていない事からも表現する、現物の一つでもあります。 もう一つは、説明の為の走描き.1の3参照。御覧になられた方々の中におわかりの方もいらっしゃるかも知れませんが、そう、ガンダムです。Zガンダムを感じられた方は、色からですね。設定には様々な然も感性や抽象的な事から導き出す思考もありきです。 更にもう一つは、説明の為の走描き.1の2参照。アニメーション等を感じられた方がいらっしゃるかも知れませんが、コミックや生活感系のそれのイメージを持たせた一貫性を考慮している少年像です。下の絵はその中でも設定を与えた子供の設定画で、ネーミングは「ここにあるよ坊や」。言葉としての設定を付けても良いですが、絵画芸術造形分野での客観性概要を伴う平面絵画という領域である事から、観る側が現実性を知覚しそこから想像出来る描画なのである面絵画同様、説明要らずです。今紹介したもの以外にもその他掲載してあります。全てその場で描いては見せ描いては観せと、設定辺りの授業中に行なった速描きです。これらは所謂現代ゲーム風のイケてる女の子キャラではありませんが、説明した通りそういう事です。 次は時間描き以降にデッサンらしくデッサンとして組み込んだ、普段それぞれが描く人体像の構造感の底上げを行った時の内容です。ここの文脈からとしては、設定図を描く場合に於いても構造感のある人体造形が必要であるという流れです。その日の始めに口頭で生徒に、全身修正と顔のどちらかを決めさせ、顔に決定しました。普段描くものでも形も直さず描いた事としていた為に自ずと崩れたままになっているその造形の修正を促す為にも概念の一つとして置いたカリキュラムです。人体である以上、一番初めに尚かつ一番目が行くところは顔という事から説明した通り"自分の描く顔をより良くする為の造形"という事になるかも知れません。良くも悪くも多くの場合に、自由に描いて終わっている状態では軟体系人体となっているケースがあります。美術描きでは西洋造形学を伴っている事もあり当然の事として形を動かし、表現にはその他異なる幅もありますが、平面人体造形としてその中に骨格思考があるという医学事になります。造形に於いて思考の中にそれが無く自由に描く為に顔を描いても目鼻口がズレているが一度描いたから直せないままのケース。普段描く顔を描いてもらい、一人一人説明と修正を加えての所謂医学上から仕上がるガッチリ感、を目視してもらった内容です。付属内容として自身のイラストへも併用可能な平面構築論理、その描いた顔を四角い線で囲いネガポジ概要での、際づめも行ないました。平面を綺麗に見せるという操作事です。 この時は確か朝突然に、<隣りの教室を使って下さい>と言われて、何時も使っていた教室ではなく隣りの部屋に移動してこの内容を行ないました。隣りは水彩を用いた内容を行なっていました。確か、でん子ちゃんを描かれた方だったのかな。一年は全員ではないですがそれなりにちゃんと出席し、水彩を持っていました。・・・先生・・・泣いちゃうんだから・・・。 その時の隣りがでん子ちゃんらしい時の、つまり隣りで行なった授業時に描いた絵は、キャラデザイン.2へ掲載されています。でん子ちゃんは表現としてあるキャラクターの一例として当然御覧になって下さい。ガス子ちゃんを描いても面白いと思いますが、構造感の説明としてこちらは何となく、その顔の歪みをトンカチで修正するかの様に、映像的なヒーロー像の顔を描いてやりました。・・・うふ。ガスを大切にね・・・ガス子ちゃんからのプロパン情報。 再び設定の内容へ戻ります。これは何度も伝えそしてその様にしなければならないと言っていた内容ですが、つまり現時点で良くも悪くも作品として取り置くべきファイルの存在、そしてそれぞれの持っていて欲しい設定図、を観たかったのですが、ファイル構築すら無い状況下で一年時を経過し現在に至っている事と、確実な直指導のもとに現段階でそれぞれが持っているべきそれらが無い。ここで、憶えていますよ中では比較的真面目に通っていた3~4人のグループに中で2人でしたが、そしてイメージで走らせた下図の段階ですが、それを観ました。先きの流れからも構造感の直修正を行なう為、それ迄描きっぱなしであったその自身の描く人体像を描いたラフ設定図に説明と修正を入れました。その後再びそれを観ましたが、元あった形に直しては駄目ですよ、スカートがある為に足が付け根からズレている事と服の横のラインが密着部からしても所謂ずんぐりむっくりになっていたから身体のラインに合わせて絞った状態です。色々話したりと楽しかったですよ。 次は設定あってのイラスト画と、それが描ける画力としてある俗に説明する多角視点描写です。 イラストからイラスト画、そして設定概要を説明し再びイラスト画です。ここでは世界観を重要視する事はこれ迄の流れからも言う迄も無く、必須事項です。それは設定図があってのそのキャラを任意の風景なり空間に存在させ、任意の視点角度から風景空間とキャラを切り取り、意図にそぐう構図とした、平面画。つまりそれがジャンルからして確実のもとに位置付けられるイラスト画です。描く為には状況設定に応じた世界観での様々な視点から考慮される自由な描写が必要な事は、表現の幅を広げる事に於いても大切な造形力です。当然単なる図形表現を抜きにしてもその伝達描写表現には様々あり、そしてそれが一番多く観られるジャンルは御承知の通り、コミックです。当然中には描くというよりも図形で当て嵌めた思考の物もありますが、自由な作画のもとで視点状況を説明している例が多い事からも、その説明がわかり易い教本です。 この時辺りの描く事での自由な角度からの視点描画説明時に描いたもの等は、キャラデザイン.1等々に掲載されています。当り前ですが、説明直指導もなされていないので描くもの全てが延々と正面方向の方もいらっしゃっての事です。頑張って角度付けましたね、それで良いんです。これ迄の流れを加味してそれの大本の土台となるのが、図形描きの図描きでは無く言う迄も無く、描画する画力です。様々描いたものがありますがこの説明に適しているものと概要を纏めたものが、キャラデザイン.3等へ掲載してあります。 再三触れますが、一部他同様とそしてこれ迄自由に過ごし設定すらも無かった教室状況下で行なった内容は、大凡こんな感じです。それとここでは担当の科の講師の方と内容や個々の事を話す機会がありました。一時はコミックでも同様に行なえていましたが、ここでは終盤迄度々お話しさせて頂きました。それとは別に、代々木ではただ生徒に好かれる様にしてさえいれば学校としてもその輪の中にいられるという環境事だけに重要度を置き、何もせずニコニコしているのが生きるそれとして講師の生活指導的バイブルとなっていましたが、それは少ないながらも何となく通ってみようかなという二次元が好きな方々がいらっしゃっての事でのみ成り立っている様な気がします。というか事実そうでした。ここでは一つに、科の方針が確立されていなかった事が毎年毎で災いしていた様ですが、その担当講師自身も生徒が好き勝手している事にある面苛立を持たれていた事と、毎年成果の無い科の内容の話し迄もさせて頂きました。科の構造上、他よりも群を抜いて辞める生徒が多いのはその設定だと思います。一緒にカレーを食べながら話した当初から描かない出席もしない生徒の面々は結局来ずじまい。それに限らずここに限らず、出て来ても何もしない課題もしないのは代々木の風潮と、仲良くして下さっていた生徒自身の口からも聞きましたが、この科の状況下にあって担当の講師はそれなりに努力されていた様です。 その期間で何か上げるとすれば、当時何で一年の然もデッサン系を教えているのか理解出来なかったこれ迄書いた事のある暗躍していた某講師。私は誰にでも指導し当然一年へも行ない、個々の単回では10人近くそして2~3数人の生徒へは一年時からファイル用の時間描き素描を直指導で教え仕上げて指導もしました。<教えてもらっとけ>、はその後の笑みから役立つ事の内容である事は知っていましたが、最終日にニタニタと喜んでいたそれを確認して指導日程を終了しました。後でぐたぐた言わない。<誰も描こうとしない。ゲラゲラゲラ>、はそこの講師が言うものではないですね。一部書いていますが学校自体でその事に於いても後で、ぐたぐた言わない事。そこでは一部ここを卒業した者が講師になっているらしいのですが、それと関連があるのかどうなのか入って体質が悪くなるのかそれ以前からなのか、そこに入ったばかりの講師が何やらゲラゲラ笑っている光景。これはもう終了日程で残っていた生徒へは「卒業制作を頑張って」と言い、個々で授業を受けに来ていた生徒へ個人個人の描画指導を行なっている時に、教室の私の前に歩いて来て目の前でのそれですね。<ここは何する部屋?>、「もう終了したから生徒は卒業制作なんですよ。」<ゲラゲラゲラ>。隣りには指導している生徒とそしてあと数人描いていて、ありえない。その体質はあってはならない事。この方向によくあるのか、何も言わなければ好き勝手言う場所でした。最後に担当講師の方へ挨拶をしに行った時のそれで全てを物語っていると思います。その時は色々と、お疲れさまでした。 日程最終日辺りで残って私が指導していた方は、憶えていますよ、リフトの方とあか太郎さんとあと素描画必要なので付き添って仕上げてあげた方とその他ちょくちょく出入りの数人かな。それにしても担当講師とも話しましたが、あか太郎さん、お風呂に入ってね。何度も言いました、描きかけの作品は大切にしなさい。描ける領域に入って、良かったですね。 内容が再び戻りますが、様々ありましたが設定していた内容も一区切り終了し、それに至る迄の間も生徒はそこで最後に設けられている単独ないし仲間内での表現による制作に思考が向き、ここでも残りの指導時間にそれを割り当てる事にしました。端からそれもやらないという生徒もいた程の自由な表現みたいらしいのですが、話した通りそういう作業も重要な創作行程です。それはそれである面に面白いそして物を作る上では極普通の、更に芸術を行なっている人材がそこに居るのだから・・・端から放っとかないで・・・グシュン・・・。内容や流れと一通り終了して個々のするべき事に時間を費やしたり集団制作の作業に使用したり、描ける様に成りたい方が主席するお題を出したりそれを描いていたりという、教室空間です。つまりそれぞれが表現する事に利用する割り当てられたそれですね。時間内容として置いたのは説明した通りそういう事ですが、一つには、在籍数が少ないのはしょうがないですが来ない描かない以前から他の事ばかりする、の事もあってその時間を設定した事も思考に含まれている事は言う迄もありません。この時は制作についてよく聞きました「何作るの?。」「メンバーは?。」「これはどういう事?。」そして「集団による制作行程は大事だから頑張って。」かな。それすら孤立している生徒とそれすら何もせず過ぎ去っている様な生徒がいる事で、私は当初から学校行事には無関係ですがそしてそれは他と同様にしなくても何も起こらない一つかも知れませんが、物を作る工程上でこの事だけは、一枚の作品でも良いんですよ、「出しなさい。」 ホワイトボード所謂ボードへ、本当に多くのドローイングを行なっていましたのでその内の数枚を紹介します。 数が多いのでどれという事もないですが例えば、走描き.1は、描く事を指導する情景をキャラクターを使用しもじったもの。一つの象徴的なものとして描いたものです。説明で使ってないボードと描いていますが、確かアニメーター科から作品を持って見せに来ている生徒へ説明がてら時間描きと普段の描くという事に付いて「あの様な造形の事」と「某アニメ作家さんの画力」等話した様な記憶があります。同ページ下段は某漫画家さん風に描いたもので、私以上の世代の方は御存知かも知れませんが、それは顔や手の大きさに特徴があるんですね。その他ボードドローイングは数多く掲載されています。そして最終期間中に絵画制作を行ないました。下記から、 更に、絵画芸術付き。 |
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2010
1/20 (水) 96 |
今回は各科編.2です。
アニメーター科と背景科。 今回もこれ迄同様に初回から書こうと思いますが、内容に美術芸術方向を織り交ぜての記載となる事で前回よりも若干難しく感じるかも知れません。ので、読み手への難解さから起きる距離感を考慮し、今回はリアル内容文を別の意味で若干一部コミックアニメ風に書きたいと思います。それを先に持って来ているのは文化的に先手という事とその上にあっての意味合いがあるからです。ここではつまりはアニメ風ですね。私は文化面でのアニメ系にも関心がありそして初めて書いた内容事もありましたが、描く事に於いては芸術推移上当然、同様のジャンルです。御存知かと思いますが、完成されたアニメーションへは音声その他等多くの人の手が加えられ、表現としての1つの総合芸術と説明表現する事が可能だと思います。現行ではコミック媒体もビジネスであるからこその存在の為、編集者や読者の意向等が反映され、結果としてもその一端と説明表現出来るかも知れません。これは広くそして良し悪しの話しではありませんが、人類の歴史上からも言葉は難しいですが、制作思考無き場合も含み、象徴として象徴し歴史が設定して来た本来の芸術家のみがすべてを一人でこなす所謂単独の創造表現者という事になるのかも知れません。しかしどの様な表現手法であろうとも時間概念の恩恵に於いて否応無く濾過された制作物は個々の自由なそれに位置付けられそして、過ぎ去った後はすべてシュールになるという事。歴史の史実上では、単独とその創造物へ普遍性を求め、存在にそれを置くのが象徴として理解し得るその哲学からも結果的に普遍性の在り方と認識され得る存在なのかも知れませんが、芸術という殊に表現という領域では、娯楽から発した部類のそして多くの人の協同作品もまた、そして当然、平面から枝分かれし発生した切り離す事の出来ない1つの芸術表現です。私は史実に沿ぐう芸術作品を制作していますが、それと平行して後者表現の概要を抽出した表現も行なっている事は、知って下さっている方には御承知のものかと思います。 アニメーター科と背景科です。 アニメータ科と背景科は合同による指導教室でした。双方とも特に背景等は美術方向でも比較的知られているジャンルで、というよりも固より世界同等の形成を行なって来なかった美術芸術系方向基盤に於いては説明をしている通りなので、あるべくものも関係の無い世界が為にその後終わって逝く人々が列をなす中で、描く事に於ける素養を持ちその範囲で枝分かれしようと否応無くにも進展しようとした時に、描く事であったからこそ当然形成された唯一に近いと言える程のそれが、当初子供向けと称されそして職業描きとして大衆に好まれ、その文化を形成し浸透して行った歴史にもある通りに、アニメ職方向です。 先ず私が頂いたデッサン資料が書かれた紙へは各科で教えるデッサン内容が一言ずつ書かれてあり、アニメーターや背景は説明する迄も無くファイルに必要な風景ないし人物画です。アニメ系学校設立の流れからも、そしてこの場合は担当の講師の方が意識のもとの記載として、他科よりもその思考のもとにファイルに必要な素描という意識のみですが、記載されていました。その通りにここで私は指導する意義とその設定上、よく知るファイルに必要な時間描きの風景画や人物画を何とかしてあげなければならない事は言う迄も無く指導です。先きにも書いた内容ですが、当初時のお話しにて、活動を行なっている側面があるので内容事項や以前から考えていた事等を伝え、2年を指導する事になった上での各科指導内容です。 それでは今回も当初辺から、 根底から書きます。 初日、部屋に入ってやはりと言うべきか先ず驚いた事の1つは、美術から発した指導スタイルを継承して来た痕跡として表現された意図を持つ、中央空間に何も置かれていない教室。そこに簡素なプラスチック板的下敷きを画板として、その上に画用紙を挿み、地べたに座っている生徒達とその後、描く、光景。<先生、おはようございます。>「担当するから宜しくね」は、さて置き、皆さんオシャレに気を使っているのに、今後のハードな制作現場を彷彿とさせるかの様な先見の景色。長い歴史の中で美術芸術が普遍的素養に於いて描くという状況からの環境思考を持たせ、幾つかの最善たるそれを求め作ってきました。つまりこれは例えるならば、牛乳の紙パックを広げてその上で、セメントを捏ねている様なものです。あと・・・とある部分にイボが出来ちゃいます・・・。 アニメ系方向の路線を形作って数十年経過している筈なのに、それはあり得ません。ここではその年の1年から漸くイーゼル持参が始まったらしいのですが、経験としてそれも良いと思いますが一過性で勿体無い面もあるので、教室自体で完備する資金が無い現状である事を承知していますので、話した通りに路線的にもテーブル描きが無難だと思います。 初日に他ジャンルと同様に描くという事での筋が合っているかどうかを観る為に私物を描いてもらいましたが、察する通り他科よりも良かったです。後で書きますが、このジャンルは全員出来なければいけません。それをしていない方は早い段階で補ってあげなくてはなりません。個々の指導がされていないのは全体での事なので、こちらも同様に2年で筆箱等の面もわけられない人がいましたが、これは以前にも概要を書いている通りつまりは面的要素で、そしてこのジャンルでは特に我流で物を描いていては話しになりません。つまりその先きの協同制作に於ける世界観描画の幅から様々なリアリティー造形迄の素養です。簡単には、貴方の好きなキャラクターに統一された陰影を付ける時どうしますか等や、より現実味を帯びた自然物の背景を求めた時に下地以降の描写としてはその意識から造形される加筆に於ける描画理論、という事になるかも知れません。個々を観た後にその指導を行ない早急に時間描きへと入らなければなりませんでしたが、これにはかなり急ぎました。何故ならば、1年時にためておくべき作品を1年経過した2年生が、持っていない。描く事に於ける習得事とそこから波状する技巧的概要を度外視し、ビジネス形成した後のこの路線教室の現場実務では、当然素早くその資質を見定め1年時早急に指導し、自ずと設定されているその期間であるだけにそれと平行し急ぎの意識で、作品を制作して行かなければなりません。・・・イボが出来る前の事です。 つまり、描ける様になる為に指導する事、描く事であるからこその描画に於ける表現幅も一度は経験し、尚かつ現場へ進む事を目的としているその為にも、紹介作品も作らせなければならないという事。 石膏デッサンを行った時の事を書きます。 石膏像が置物として飾ってあり、胸像すら一度も描いた事の無い状況に・・・何となく驚いてみました。平面の中に造形物を描くという造形学としての概要を体感する為にも、ファイルに美術芸術平面を経験したという証明としても、と置いたカリキュラムです。アニメーションに於いてもその表現には多種多様な平坦表現等も様々ありますが、絵画同様、印象派以降の造形指導から見出された描画表現が多分にあります。ビジネス描きとしてその後どうであれ、人が平面にどう描くかを実画哲学して来た歴史の上で編み出され改良された描くという行為に於いて存在する造形の源流と、そして身に付ける名目で通う高額の教室という事。可愛い女の子を描く事に於いても描ける様になる事に於いても、今に始まった事ではありません。描くという素養に於いては同様に、一部の上に立つ人のみでは無く全員が知り、その姿であるべきです。その内容での難しい話しはさて置き、つまり石膏像を一度は各々の直指導のもとに平面立体造形感性を体感し苦心しながら描くべきです。 年に数回のプリントはあれど、1年間我流でしか描いて来なかった生徒という事と、描くという事に於いて継続からものにして行く過程で各々がそれぞれで蓄積する哲学意識が、自由な落描き素描という認識であった事もあり、漠然とした身構えから本腰にも思われる単なる石膏像に恐れおののいていた状況もありましたが、ジャンル形成段階での史実が暗黙の了解で受け継がれている側面もあってか、描くという姿勢は他よりも多分に存在していました。この時感じたそれは、本当に良かったです。それは絵画生徒のそれに近い空気と表現出来る程迄と思いますが、これは説明すると、描く事に限らず他ジャンルでもそうですが語弊の無き様に、多くの場合にピアニカ教室よりもピアノ教室に集う人の方が、体得したい向上心から自らを勝手に律する精神に置く側面が多分にあるという事と同等のそれが含まれている姿、になると思います。・・・わかり易く噛み砕いて言えば、時間中、例え集中力が切れていたとしても、飽きずに描く姿でした。 各々が直接の指導をされた事も無い現場で、当然三十数人全員の絵へ直接手を入れて指導に回り、その内容を見定めそれぞれへ話しての時間風景です。某科からも描きに来ている人も居ました。2時間中直接全員へ、直描きをして説明し回る指導者に驚いたかも知れませんが、デッサン室でアイスクリームを食べていた事には<先生、アイスクリーム美味しそう>、って共感を頂きました。 美術芸術に携わる者の過去から現代迄の振る舞いの要因と、そしてこの路線系学校が作られて以降、美術は重いという観念から別物として距離を置こうとする暗黙の思考が育てられて来た経緯もなきにしもあらずですが、石膏像を用いての平面立体造形を初めて描いた事は、日頃描く線による女の子の絵の内側造形は当然の事、如いては芸術思考存在に欠かせない事柄も少なからず含まれてあります。表現に於ける広がりは1つにまとめる事も無く当然の様に多様な拡張をみせていますが、説明した通り、人が想像を絶する未知の領域に踏み込み新たな思考哲学を確立する時代が来る迄は、長い平面描画の芸術歴史を経てのそれ以降今日の所謂、描ける人、はそれを使いこなせる人、そういう事です。 実画指導時間の内容に付いては、アニメーター科と背景科の合同指導の中で、これはよくある一般的美術指導の安易な専門内容になりますが、単独でその思考のもとに立体として造形物を描けた方が一人居ました。広く観ればあと二人というところですが、その方は美大出身者という事もありますが、その某学校その中でもかなり精度が良かったですね、よく知っているので手に取る様にわかりました。あとこれは大事な事ですが、これ迄説明し書いて来た通りに、そしてこれは時折説明も交え話していた内容ですが、描く事を始めようとして初めてこのジャンル系学校に出向いた方が、勉学方向ならまだしも描く事に於いて、何となく課題をこなしただけの現状では、その差のまま終わります。つまり個々に直接による直指導で教えられていない状況では、当初から持っている人以外は殆ど何も変わらず、描く事の領域は精神と同様にある為、所謂その素養から隔たりを備えている先天的領域で描く事が困難な位置に置かれている方は、持ち得ません。 それとこれはこのジャンルでは普通に親近感を抱かなければならない筈が学校指導上からも美術系絵画描きは、その思考の中である面、別次元と思っていましたね。全員がその絵を仕上げる迄個々に直指導しましたが、自分の描く事その内容に当たらないとして別物と思っていたら、勿体無い事です。特殊技能的側面毎での身に付けるに重要な事の1つは、それを自分に関係の無い事と、思わない事です。立体造形物の最たる物を観察し近づけて行くという事柄から別離しては、本当の描ける域に達しません。それは自由に好き勝手描くという領域の世界ではない事に於いても察しがつく事です。そして平面立体の眼を持つからこそ線内の平面が構築され崩れて見えないのです。落描きや人体を描かせて中の形の説明した内容ですね。それと再度書きますが、本当に姿勢が良かったです。 次は時間描きによる人物風景画の事に付いて書きます。 当り前の事かも知れませんが、写真の持参が素晴らしかったです。他科とかでは数週間後にやっとの事で写真を持って来ても、小さな切れ端にちょこっと写っているものとかで幕末を感じましたが、この科は何枚も写真を持って来て構図の良い物を選別出来る生徒が居る程で、現代社会に行きているという事をみせてくれました。・・・そ・その写真は・・・うふ。 それでは時間描き描画の内容です。 先きと付随する内容になりますが簡単に言うと、アニメ系学校での殊にアニメーターや背景科では風景や人物を描きますが、美術方向での描画指導や身に付ける素養無くして風景や人物を描き進めている現状では、美術方向経験者以外は何となく自由に人物風景落描きを描くだけです。これは絵を描かれない方にもわかると思いますが、何か落描きしようとしてキャラクターやお姫様等を描いた場合は形状を抜きにしても自分独自の独創的な図面なので思考が働き、意識伝達のもとにその操作が循環していますが、自分の世界観以外の物が介在する所謂対象物を描こうとした場合には、どうして良いかわからず何となく手を動かす事とその宙に浮いた思考時間に寄り掛かった姿、と説明表現出来るかも知れません。 芸術表現では当然それも1つで、そしてそれらの中には現代で本能的な本来の意味でも認知されている、塗り絵があります。つまり線を引いてその中を塗りつぶして行く行為が、何かしらを描き仕上げているという意識を持たせる本能的かつ満足の得られる思考領域の行程描画のものです。描画に於ける発明構築された論理から語らずとも意識出来る哲学を抜きに何かしらを描こうとした場合、簡単には先ず線でグィーッと引く事から始め、その後に人間の本能からその中を塗って、描いた事、とします。この時その制作行程と現実世界から感知するリアリティーの差異に、つまりそれが何かしらの対象物に似てないので、そう成らないと感じます。先に書いた内容を別物としていたら自ずとそれのみでそうなる様に追いかけるのみとなり、線を引いたり中を塗ったりして、その1つの思考から何かを描いたとする見せ方の延長線での比較的上手いとされる絵に、いつか近づく為に繰り返し、繰り返します。 その方向での職で上手いとされる方々の線画は、内外でのネガポジが保たれている事で中の形が確りとしています。俗に表現する抽象観念画方向のこれには、当初からもしくは描き続けているうちに発展し美術描画領域が加味され画面にもその力量が得られた画質の物と、我流のままに今書いた事を繰り返して膨大な数の枚数を描きその中で自身の描く造形に俗にいうカッチリ感を見出して行き、その継続の体感からその画風の中での線内の圧力感をこなせる様になった画質の物、その二種類があります。お解りの方がいらっしゃるかも知れませんが、後者に多いのは漫画家さんの絵で特に古い時代の作家さんです。西洋造形学、所謂アカデミックな平面造形学論理以外で線内に構造感を持たせた素晴らしい造形、先駆者的側面と画風からも例えるならアトム等ですね。線引き形状内に認識出来る知覚造形があります。再度簡潔に言うと、過程は違えどこれは美術芸術絵画でいうところの、中の形があるフォルムという事です。以前にも書いていますが、この事に於いて造形論理からも成り立ち、それで本腰の美術絵画を会得しなくとも平面内構築感造形が描ける様になるケースがある、という事です。但し表現はその会得進路上、俗にいう二次元キャラ的表現限定に縛られる表現幅である事は当然の理屈と思わざるを得ず、つまり色彩併用としてもその1つの造形学で幅を出すしか方法が無いという事と、後で無理矢理絵画造形を付け加える事への習得時の困難さとイメージであるからこその想像物で生じる世界観に不釣り合い等の事象、になると思います。あと語弊が無い様に付け加えると、芸術ではその他に崩したものでも良いものがあり、ある面それで絵にしている方がより良く、素晴らしいものとして多分にあります。 アニメ系の方向は美術の流れで形成された歴史があり、その後に多種多様に枝分かれしようとも、個々それぞれの領内に於いても身に付ける段階では造形する以上、自ずと生じる構築論理が表現とする為の造形哲学を伴い発達して行く進歩もある以上、美術描画を経験し知っておくべきだと思います。これは持論も含まれますが、結果的に様々な職業描きによるリアリティー表現を突きつけられるからという実際面での技能性に於いても、その技量と幅は可能性を増やす事は言う迄もありません。 教室には段ボールの中に比較的良しとされていたのか生徒が描いた絵が無造作に置いてありましたが、ほぼ全員、描けないで終了して行っていますね。1~2人程美術生徒程の絵もありましたが、何となく置かれたその絵の束は、絵を書かない人と同じレベルです。でもこれは悪い事ではなく、教えてないという事と次第に増しそして離れつつあった美術思考の表れです。但し再び説明しておかなければなりませんが、アニメーターや背景という持説からも先きにも書いた通り他と比べて良い方です。ここで現状をそのまま悲観的内容でその様に書いたのは、もとより美術路線の流れという事から実際実状を観た時に、学校という事ですが、直指導から身に付くその行程と各々の描くという事にアプローチし素養を引き出すそれが、無かったからです。 あと、どの様な絵にしろ芸術幅では当然存在しなければならない領域という事はこれ迄再三説明し書いて来ていますが、ビジネスで確立された流れ作業的職での描くという事からも、ただ思う様に個人の描写を描いていては、描くという方面の土台では、その職描きを習うどころか学費すら勿体無いです。これはアニメ方向へ行くにはアニメ学校からのみというシステムを作った事で、何と無しに何処かへ行けそうな人は何となく何処か入り込めるという現象が、只通っていればという流れにしているのだと想像します。一部に於いて私はそこに好きな空気感もありますが、ジャンルが持っている何となくしている空気質もありますが、毎年何となく流れようとも実際は当然行けない人が多いのが実態です。 それと先きにも書きそして繋がる内容で、ここで表現するに若干困難な内容ですが、描く以前に絶対的に描けないと大きく断言出来る方が二人程居ました。よく在りそしてよく表現する事では、生徒の殆どが描けなくても描いている他人事の共有時間の場合で、指導者はそれが教え指導していると錯覚しがちですが、この場合のその内の一人は、これは再度語弊の無い様に言葉が難しいですが、先天的に描けない領域の方です。一年間も放っといては駄目です。これは難しい領域を含むので他で書く事にします。 指導時間の話しに戻ります。そこで先ず何はもとより1年時に描くという事を行なっていない状況下で更に進む道としても、直ぐに制作現場への面接等の期日が迫ってきます。早いとこでは夏前など。何も仕上げもせずに1年時に何をやっていたんだろう・・・と。・・・もう・・・ここの紐ほどいて・・・。 ここで私が行なった事は、作品として早急に時間描きを仕上げる為にも、原図と画用紙に同じ様に格子状のラインを入れ、そのアタリ通りの位置にアタリを置きその通りにライン引きし、その後は所謂描くという事での描画制作行程事。説明の通り、当たりを入れる迄の行程は模写ですね。姿勢が良いとはこういう事で、時間中頑張って描いていました。当り前の事ですがそれは描ける描けない以前に大切な事と、そして私は何とかしてあげなくてはなりません。出席者全員に直指導をして回ります。本来と云うべきか一定レベルのリアリティーを持つ風景画ないし人物画を10とするとアニメ方向で特に習得段階で描くそれは良く言って2~3位だったと思います。これは悪い事では無く、それがそれでその表現領域での十分に事足りるという事になると思います。寧ろ大事とされる事は、線画で自由に造形出来る能力の方なので、個々の画質で仕上げて回った他と比べても十分の風景人物画で、十分です。 但し、その先きは要らないと端から思考に線を引いていてはそれすら出来ない精神事の壁と更にこの状況下としても、勿体無いです。・・・私は描く事に於けるすべてを何でも教えるのに、・・・もう、こっちの紐も・・・ほどいて・・・。 人物風景画制作の纏めとして書くと、他よりも美術寄りである筈の文化がそれ程に描画時間に手間取る思考の一因は、これは先きに書いた通りと方向と、教えられず一方向描画でしか描くという事を行なっていない現状であった事から、ここは重要な事ですが、それだからこそ小綺麗で気薄な物のみを見つめそれしか見なくなり、本来の描くという事を避け、突然自然画系をリアリティーする枠で追い求めるという極普通の描くという行為を突きつけられ、如何して良いかわからなくなる、の親身に教えていない何所にでもある普通の現象であったからです。 その他内容としては、あと全員が仕上がる迄各々に直接指導して回り、それと異なる意味で前でモニター公開のもとの直修正も行ないました。何人も居ました、素晴らしいです。その意識は忘れない方が良いと思います。この期間はその後もあの手この手とプッシュしました。普通に聞けた方、その意識を片隅に描き続けて下さい。 アニメーター科と背景科は教室内で合同による指導時間だったので、人数と個々それぞれもありましたが、そして少し小難しい内容で書いていますが、以後は以前の他コラム同様に少し柔らかい内容で断片を書こうと思います。 アニメーターはコミックと並び自由な作画の画力が必要です。画力は落描きの真骨頂、描画は共同作業の一端を担うので個々の作品での空間設定に合わせてそれを描く為に色んなポーズを様々な角度で描ける力は何より大切です。進路から早々と来なくなる者や終了とされる課題の協同制作に残りのすべての期間を費やす事も重要ですが、少ないデッサン時間、描ける様になる為の期間は大切ですよ。人物風景時間描きが終わったら、来ない事来ない事。その時かな、初めて見るだろうと思い、何となくアカデミックの石膏デッサンの手順をデモンストレーションして見せたりもしました。後で何を言っても駄目ですよ、何所の誰がそんな事してくれますか?。クロッキー.1の3 次はクロッキーをした時の事書きます。 アニメーターが大半という事もありましたが、当初からクロッキーは行ないました。平面への造形認識レベルが多分に反映される短時間描きです。それは描けるという事と直結しますが、ここでの内容は美術方向の立体造形概要を伴うクロッキーがベースのイラスト画風含み、ですね。要するところ、モデルを見ながらだけど描いている絵が想像観念による人体像ポーズでも良いという幅のある、想像人体プロポーションの造形精度と伝達が可能となる為の、筋にあったクロッキーです。重要なそれは、時間描き以後の後半日程で行ないましたが、来ない人は、勿体無い。 ・・・おまえにサンが・・・アルカリ・・・。 当然全員のクロッキーを観て個々に説明ですね。頭の中で他の作業の事考えていては・・・先生悲しくなっちゃう・・・。 好きに描いている落描き同様に、平面上で人体を捉える事を普通とする意識での画力とそのバランスが重要です。初回の終了時間の空いた時に落描きをさせた時、辿々しかった事もそうですが、当初から自己流で描くスタイルで存在しているのであるならば、理屈上からもその我流のみでもそれこそ、線が走っていなければなりません。描いていませんね、描く事好きですか?。・・・ミサト・・・さん・・・。 落描き意識で描く想像の人物像と存在する生身の人物を客観的に描くという能力は、ドローイングの最高レベル領域では、別物ではないです。 指導日後半に行なったクロッキーは時間内終了迄、連続して行ないました。その中でも上達の早かった生徒を私がクロッキーした絵が、クロッキー.1の3の下にあります。それと関係ないですが可成りの激しい絵も見せて頂きました。・・・そのくらい知ってるもん・・・ふふふ・・・ふ・・・え?。 次は卓上で一緒に描いた時の事を書きます。 最終的に重要となる自らの力量の1つは言う迄も無く当然、描ける力です。私の指導最終予定日付近では卓上で数人の子と一緒に色んな設定のもとの想像による動きのある人物を描いて、描くという事を楽しみました。その時点で描ける領域に届く様になった方も居ました、良かったですね。それと実際に目の前でしかも一緒のお題で描いてみせて説明もするなんて事は、生徒は初めて経験した事かも知れませんが、そんな事してくれる先生は存在しないでしょう。 <こういうの見た事ない。何で他の人、描いてるとこ見せないんだろ。>・・・それは言わない約束よ・・・うふん。 その時、生徒と一緒に目の前で描いた鉛筆画は、クロッキー.2の3、説明の為の走描き.2の1、説明の為の走描き.2の3から説明の為の走描き.3の3、等に掲載されています。例えば、一緒に「ボールを蹴っているとこ」で、それぞれのイメージするポーズを描き、私も直接隣で描いてその後それを見せたりそれぞれが描いているポーズが伝達出来る造形として構築感を得る為に説明から手直しをするという感じで、時間中、沢山描きました。本来の描くという行為の、引き上げと大事な説明ですね。その時の方達の事憶えています、あの時の話しがわかって来てるかな・・・。 後は平面思考哲学歴史の推移を史実と共に見解を織り交ぜ、超スピードでボードへ書いて説明した時の事ですね。 人類が岩等に線を引いて何かしらの物を造形した時から、現在の現代美術迄をノンストップで。現説明文化であるだけにアジア圏の特に日本の十八番の観念描画系の推移にも触れての熱い講義。・・・備品のマーカーを使い切る程に・・・熱く・・・。 その他、再び石膏短時間描きで大理石風の小ニケで再度面を描いたり、予め観念造形された人体模型、所謂女の子フィギュアをクロッキーしたり、卓越した腕を持つアニメーション作画監督の設定人物像を説明したり、客観と観念描画の理論上から自ずと避けて通れない絵画造形との差違を利点のみならず得手不得手も説明したり、等々。 今回は流れからも同じ畑という事もあり、美術芸術を含ませての内容になっていますが、大凡指導した項目はこの様なところです。それとその他付属させると、終了日付近でボードに一言メッセージが書いてありました。知っていますがその成長した姿に・・・思わず・・・メーテルーーー。 あと重要な事を書きます。技量的にもある一定のレベルを伴わなければならない事柄を身に付ける過程に於いては、良し悪しに関わらず必ず、自らの精神を揺らして進みながら体得して行くものです。進んだという事はそこに揺れた位置を経過し進んだという事。つまり精神の揺らぎ無くしては進んでいません。何を言っているかわからず身に憶えが無く聞こえる事もあるかも知れませんが、固より同じ畑という事と本来の筋が善いという事を持ち、風が吹いてもその思考のもとにツベコベ思わず描き続けて下さい。 それと余談ですが、当初の話し合いの時からその後も度々に、積極的に某様々な制作現場へと考えて話したり指導しましたが、それは初回説明時に話されていた様にそれらへ行っていないと話されていた現状もあったからです。先に書いたコミック科でのアシスタント内容にも似ていますが、当然ここでも私が話した通りに、それら某制作現場等々へと考えていた事と、当然文化方面でのそれら現場が好きだった事もあります。それとしてもつまり私は、代々木が進路としてホームページへは書いてはいるが飾りとしてのネーメングだけだったそれら制作現場へ、説明した通りに何とかしたかった事もあり、当然アニメが好きなんですね。その事のみならず、会社自体でそれらすべて阻止する不可思議な代々木って・・・どういう事?。 最後に今回は担当の科の講師が登場していない事を不思議に思われた方もいらっしゃるかも知れませんが、私は一度も話をしていないんですね。以前書いた背景担当講師に生徒の事を話している時に横切った教室でちらっと目に入った瞬間のデジャブー的貴重な場面と、ドローイング力の伸び率の高かった子が私の教えていたキャラクターデザイン科へ描いた絵を持って来て説明している時に、本社系で作画監督にならないと下請けは特にハードだし進む道を変えようかなと話していた事と事実として「これ系ジャンルで一番上手い人は、アニメーターの作画監督だよ。」って言った後ら辺で2階へ駆け上がって自販機を横切る時に、すれ違って帰っている私のデジャブー的瞬間の場面、その位かな・・・はぁ・・・はぁ・・・。 次は背景科の事に付いて書きます。他で一部内容に触れている文章もありますが、そういう事です。代々木は全体的に何もさせない様にしていた状況の中、個々の科のそれぞれの領域でそれなりにある面に於いては存分にと言える程、説明と指導をこなしてきたと思います。それとですが当初私は、背景での着彩背景を生徒指導の為にも描いてあげようと考えたりもしていました。これは書いている通りに結果的に描かずに終わりましたが、指導では事細かに説明はしました。頻繁に背景を見ては説明を行なった生徒以外にも一度観た方を含め数人居ました。簡単に少し書こうと思います。 特殊な表現のイメージシーン背景は置いといて、デッサン力をもとに機械的な行程での所謂作業行程では、着彩一層での世界観に沿った際(キワ)の見せ方とそこから加筆するつまり具体的描写という描ける力量を例える言葉、描く力、があれば後は、ムラのコントロールのみという事もあります。それはつまり平面絵画世界でのこの描画スタイル表現は、技巧のみという事から自ずと生じるプロセス上の小難しさです。色彩の事では、それを使う以上生じる事に大凡あるパターンが、トーンが合っていないケース。所謂一部彩色が、ぶっ飛んでるんですね。これは色感系で直指導していれば、どうという事ないです。パースは消失点に合わせて線引きするだけなので論外と後は必ず絵の具は薄く。古くからある透明水彩での紙への浸透系表現で古いアニメーションへも頻繁に使用されていた空気表現は、所謂無機質描写を心掛けた薄く均一な風景写生描きで、不透明主流になって以降はそれより重層の技法で表現に幅が付けられてきました。下記でも触れますが、それに於いても画材の性質上、薄くという事です。そして何にせよ風景の木の陰にブラックのベタをそのままに置いて飛んでいるのはあり得ない事とか、色彩にそれ程配慮しない所謂単発で流してる系のアニメーションの背景では黒ベタで流す場所もあるかも知れませんが、自身が背景を描く上で陰であるという認識から癖でそうするのであるならば、明度彩度と色彩空間世界の統一原理から、無難なブルーか紫系等をさす方法。投影目的の水彩は色彩のみの利点を使用する事から、他媒体と比べ物質性を排除したクリーンなフラットベースという事と、不透明フラット色彩にのみで視覚認識で空間性を伝える役割として置く為と、他表現を削ぎ落とした水と顔料の特性から固着性に乏しい性質により、薄くしなければ剥離が生じる事。それとその性質からの制作行程事では、リズムが止まると加筆部分が物質としても造形としても別離する絵肌と、不自然な認識現象が生じるという事。表現としても単独作家の思考する芸術作品ではないので表現欲求を押さえ、部分部分で色を変える事をせず機械的に、殊に継続造形物へのベースは統一色でベタに。描画に於ける一番重要な例えて表現すると呼吸で描くという領域は、背景の直指導でなければ短期間で身に付き辛いかな。水と筆と画用紙の乾燥具合と視覚触角での職人的感覚、慣れから来るそのタイミングがそうですね。何にせよ色彩のデッサンなのでデッサン力を抜きにすると後は不透明水彩による職人技術で、つまり戻ると薄くフラットがそれですね。内容は大体それと背景科内容は他でも書いているという事と、そしてほぼ風景onlyなので上記美術文と時間描き内容で同じです。 それと余談でこれは製作会社側の内容を一部含む文になるかも知れませんが、時代の流れで当然、現行で加工のし易いCG処理は誰の目からも不可欠な行程作業ですが、端から描かなくて良いとかその力量が要らないと踏んでかかるのはどうかと思います。初段階から消費者が購入する媒体へ合わせての制作行程から観られるその意識は、商売のみを狙い表現した姿ですが、その事で逆に時代と世代的な事からも某メジャーな画像加工ソフトを使うだけの素養、ある意味に於いてはここを見ている人、それはある面語らずとも誰でも飛び入りでこなす事の出来る領域と説明出来るかも知れません。当然製作側に送り込む為だけの内容とその訓練という事にしてあるのでしょうが、特殊技能を破棄するとそこに必要な160万とは・・・。 私は御覧の通り、実在する現物とデジタルの双方を持っています。というよりそれをデジタルに載せて観せているという事ですが、それはデジタル当然の世界だから当り前の事。これには様々な思考も有りますが、私は個人としても一方で固有物が有った方が良い様な気もします。切り捨てる単発での形の無いビジネス思考だけの考えなら話しは別でしょうが・・・。 更に余談ですが、過去のセル画や背景、大判背景付きセル、そして単なる線の動画だけも持って行って生徒へ見せた時、 <初めて見る~。感動~。>、って目をウルウルさせていた姿が印象的でした。精神を持った人間が普遍的に求める実物とそれを観たいとする本能を、垣間観た気がします。・・・気が・・・気がするの・・・。 個人的な話しではガンダムがセルと背景で、そのシーンの固有作品が存在して、良かった。・・・大変だろうけど。 意地悪な事一つ書かせてね、・・・お・ね・が・い 今の子供達かわいそう、その好きなアニメには、その好きなシーンにも、何も、存在してないの。 その他様々な内容を含み各科編.3へ |
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2009
12/28 (月) 95 |
今回は各科編.1です。
コミック科。 コミック科です。これ迄同様に初回から書こうと思いますが、今回は下方で次第に一部、リアル内容文をコミック風に書きたいと思います。これは以前から書いているので御存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、私は文化面での漫画系にも関心がありそして初めて書いた内容事も多くありましたが、描く事に於いては芸術推移上当然、同様のジャンルです。それでは当初辺から、 先ず私が頂いたデッサン資料が書かれた紙には各科で教えるデッサン内容が一言ずつ書かれていました。 コミック科 人体クロッキー それです。コミックは様々なシーンを説明する為に自身の世界観設定内での人体的造形物を自由に描きこなせなければならないです。但し年間スケジュールで描く事の指導であるデッサンはそれだけとはいきません。描く領域や知識と技量から備わる視野と云うべき描画概念が存在していない事、と平面芸術はいらない、という事を表しています。あと何気に重要なのは、立証もしましたが、コミックの講師自体がデッサンは必要無いそれだけでいいと考えるそのものという事です。あとでぐだぐだ言わない。 教室が始まり現状を観ると何かを描きましょう的事柄は行なっていたみたいですが、全くと表現出来る程に描けない領域にいる生徒は一年時にもそのままにされてきたのでしょう・・・描く事はおろか表現上も影を潜めていました。路線での媒体上、ビジネスのみで乗っかる方向なので見せなければ話しになりませんが、その理由の1つは、わかりますがそれは描けない事が災いしています。そこには先きに論理的な説明の必要があります。私が言うには、芸術では自身の思考哲学から表現活動や新たなるものへ向けて創作制作や活動をする側面があったりもするものです。これは芸術の歴史にあります。片やコミックとは買って読んでもらえる事でそれがあります。表現には当然幅がありますが、面白くなければ読まないしそれになりません。読ませてみせてから修正し、始まるものです。第三者が見、読む事がない漫画は、現代この時でのビジネスのみで成り立つ設定を形成したその意図、それにそぐわなくなってしまいます。つまり今この瞬間ではビジネス描画のみという事です。芸術活動であるならば知識を高め創作に励んだ方が良いかも知れません。そして、教室内生徒展示で4~5人のしかも車や靴を描きましょう的ペン画が飾ってある様では、2年で卒業でどうするんですか。 私の取った行動は、美術流れのアニメーターや背景と若干異なる形成を遂げて来たコミックという事もあり、中盤辺り迄に各科の中で若干カリキュラムの事を話せたコミック科講師という事から、人体クロッキーだけでは描ける様にならない的事からコミック系の事柄の知識もあるので補い更に美術的な素材でのカリキュラムを取る事として話し「自由にやらせて下さいね」と伝え、<どうぞお願いします>と話しました。他科よりも自由に描く力量が必要な媒体という事もあり、描く事から時間描き迄、モノトーンだけでなくカラーもそしてコマ的表現と如いてはアシスタント時に持参出来る他と一風変わったインパクトとして絵画作品迄もです。後で書きますが代々木とそこの講師の思考世界で、期間中は短いですが、それらすべて行ないました。内容的には以降と下記にも書きます。もう一度、平面表現の一端として存在しているジャンルでの然も描くという根本的な所を、時にカラー画材を補いつつのコミック系内容に、多方面と異なるやって終わりの空中分解的存在ジャンルの教室形体を避ける為に経験の場としてのアシスタント持参作品付、です。という事になると思います。大切な事を見極め、積極的に指導と補いもする講師が補佐せず誰が伝えるのですか?。 更に再び、他人にも見せず駄目出しもされていないのに連載を望んでいる方々の経験の場としても空中分解を避ける為にも、アシスタントの方向で作家さんに御願いに頼みに行く事迄です。余談ですが、当初タッグを組めるかと思っていたコミック科の講師が他の科の方々と同様に次第に空気が変わっていったのは秘密の会合か何かですか?。 それでは内容から、 これらの方向の生徒の中には絵が好きだとか社会で何かに携わる迄に何となくこの方向に、とか様々あります。当然、他の道と異なり描く方向のジャンルなので特殊な意味を持ち、絵画教室同様に名簿を見ても数人しか生徒がいない科もありましたが、コミックという媒体はみんな好きなのか比較的に生徒がいました。作家という事と創造物でのコミックというものが好きということになるのかも知れません。私はある意味精神年齢が近いという側面も持ち合せてもいるので、話しをするのが楽しく、今読んでいるものもあるし昔のものの話しをしました。そこで行なわれていた授業は、年に数回課題的プリントを配って行なっている所謂、形式上の事項で次ぎに入るという社会にある伝統的な無機質空気のお流れスタイルと表現出来ると思います。勉学授業や教室講座等は世界史や素数を黒板で説明して終わりとされているのが一般教育現状として存在しているみたいですが、これ迄説明している様に当然それと同様にとなるはずがありません。実質上では、その時間机に座って聞いていて自分なりに手を動かして時間が来たら終了で生徒は今日も一日授業したと、講師も今日は授業したと感想を持つ存在と認識しているから、そこで習ったとして終了を迎えた後、で?・・・という事の繰り返しがその事すら意識もせずその存在の在り方になってしまっているのだと思います。 2年ですが描く事の説明から入る為、何でも良いから造形としてある私物を描いてもらってみると、描くという事情が我流という事もありますが、半数は形を取ろうとして崩れた平面内造形物外角形状でした。これは大切な事ですが、我流に於いても自身のイメージするつまり自由度のある表現を加味した造形を描く場合に於いても、それが何であるか描き伝達する事が、現時点での形成されている第三者が見る想像表現媒体では、最低条件です。 例えば私物でペットボトルを描いた場合、形を取り正確なそれとするのであれば頑張って近づける事は大切ですし、独自の可愛らしい哺乳瓶的にしようと思ったとしたらその意向で伝達可能なそれに描き上げる意識は大切です。つまり事実話してみましたが、意識としても根本の理屈としても教えられた事も考えた事もなかったのが本当の所でした。この辺の類の事の中には私が史上初めて触れる事柄もあるので一概に統一して語れませんが、端的に言うと、2年にもなって筆箱1つ位伝達出来る造形として描きなさい・・・です。それでどうやってストーリーのあるコマを描くのですか・・・。 その後、人物写真を持って来てもらい画用紙を用いての日数制作、所謂時間描きによる素描を行ないました。アニメ系に次いで雑誌等の写真を持って来てくれた方が多かったです。これは絵画として初めての作品制作と経験、そしてアシスタント方向へも持参出来る様に考えたおそらくジャンル的にも初のカリキュラムです。次第に辞めて行くこのジャンルの実状の中にあっても当初という事もあり、他の科より善く、一定期間の制作日程終了でそれなりの提出人数がありました。 再度説明・・・今回は下方で次第に一部、リアル内容文をコミック風に書きたいと思うの。 当然、会話しながら手直しを進めてもその行程を見る事もせず後ろを向いて無理強いで雑談している我の強い子も数人程居ましたが、一人一人に大切な事とそれぞれが内に持っているものを話しながらの直素描手直しをして回りました。これはそれぞれにそぐう画質の見極めとその向上に於いても大切な、やりっ放しを避ける上でも大切な事です。 初めて他人から自身の描いた絵を手直しされる生徒のいる事。それではよくないとおもうの・・・。 この段階時点でのコラム的突起すべき話しは、そこ自体にこれ迄に無かった絵画作品を生徒が仕上げてそれをもとに、担当講師と一人一人の描く事に於ける個性素養と持っているものの内容的側面を話しているのに、迷惑そうな顔をするな・・・ズバババーン。 それをこなせていなかった事を考える思考よりも、煙たがる内容で他講師と話しに盛り上がるな・・・バババズーン。 この時最後に説明した様に、絵画として制作した初めての人物素描画作品なので、今後も描く事のジャンルを続けるのであれば異なる表現を継続する事になっても、それは普遍的な事として存在しています。 期間中、カリキュラムは様々置きましたが、次ぎはカラー素材を用いた時の事を書きます。 自身の使えるカラー画材を持ち習得していた方が良いです。それは何らかの世界観の漫画にカラーを用いる場合やその世界観を切り取ったイラストとした場合に置いても、その他表現としても折角絵を描いているジャンルなのだから、素養の1つとしてもと、ペン画のみの思考しか無かったから置いた発展系のカリキュラムですね。私はその点オールマイティーなので、メインに透明水彩、色鉛筆、そしてカラーイン墨等も居たかな、自由に選んでもらい、生徒自身の画風の手助け的要素も兼ねて、イメージによる自由な風景という内容で好きに描ける様に自由度を置きました。簡単な12色セットで良いとも言っているのに持って来ず全日程を休むのはもったいないですよ。絵画教室では道具を捨て置きしてそのままの1~2年も経つ生徒の画材を来ているみんなに配ったりもしているので、持って来てあげようとも思いましたが、如何せん来ない方がいる。この時は少なかったですね、そんな機会は美術方向へ進まないともう無いかも知れませんよ、それに自分の絵を描いているのに5分で飽きるな・・・ピュピュピューン。 次ぎに4コマを行った時の事を描きますね。 先ず、コミック方向では4コマが基本以上です。当然、起承転結等当り前の事もありますが、何に於いて「自分のタッチ(画風)を時間軸でのストーリーに載せて4つのコマで事足りる。」という事は、画風以前の個々それぞれの絵質の状態時に、長期に時間を掛けた仕上がりを見るよりも、ずっと大切です。・・・ずっと大切です・・・・・・ずっと大切です・・・・・・ずっと大切です・・・(回想シーン) 「4コマやってるの?。」と生徒に聞くと、1年の時に一度やったとなっている、時点で、初日からの光景を証明しています。それに、仕上がった4コマ持って担当講師と、生徒それぞれの持ち画風と秘めたもの等真剣に大切な話しているのに、<こんなに描いたの初めて見た>と驚き、自分のテリトリーを話されている事に次第に迷惑そうな顔に変わっていくな・・・プピピピーン。 他にも課題を設けましたが次は、自由なシチュエーションで組ポーズを描かせた授業の話しにします。 当然何時もの事の様にあれこれ話し、最終的にも自由に線を走らせる画力、コミックの持つ自由な描画力の重度はストーリーという設定上、切り離せない腕なので、その類を気楽に描いてもらいました。自分の画風なりに単体以上の複合人体のシーンが描けなければ、想像にも結界を引かざるを得なくなってきます。とどの詰まりよく話していた「線が走っている」は大切です。この時は2~3描かせましたが、例えば「バックドロップをしている所を、どの角度視点からでも良いから描いて。」です。ようやく終盤にモニターを入れてくれた教室という事もあり、当然私も1~2分だったかな描いて映し、生徒のを見て回ったのですが、平面造形視野上での理屈は描けた方は一人もいませんでしたが、それでいいのだー。 画風によりますが、わかり易くいうと、自分の画質でそれが何でどの様な状況であるか伝えれば、多少回りが甘くても構築感のある造形でなくても、先輩・・・わたし・・・。 当り前の課題ですが、自分の頭の中で組み立てる事は重要です。そしてそのシーンで線を走らせます。経過推移上でも、その時に100%の作画が出来なくても良いんです。描くという事はそういう事を含み、その事よりも大切な事は、自身の画風でイメージを持ち、その中でシーンを描ける事。描く為の授業すら無かった代々木で懸命に指導して回っているのに、あげくの果ては、いらないですか。 担当講師も個々の生徒それぞれにペン入れの指導すら行なっていない内容では、はっきり言って疎かです。そう、ネームの後のペン入れを指導説明していたら、<ペン入れ教えてもらったの初めて。>は、驚きました。 それだから印刷をターゲットとする方向でのペン画表面がベタを含めて粗いままなのです。これでコミックの事に踏み込まないでとは意味が分からない。君は・・・正義超人だ。 更にこれはそこの体質かも知れませんが、講師が他講師と浅はかな単なる一点透視等の図で盛り上がり、最終的に学校のサイトブログでビルの図面を掲載してバイバ~イと表現されたのはこの方ですね。こんな事も初めて聞くの的事柄も余計に指導して回りましたが、すべて話せるのは当然、全員に指導し手を入れて回っていた唯一の存在という事もあります。それにしても代々木講師は何を教えていたのでしょう。教えてないから教えているのにそれを嫌う。 追加でアイスクリーム事件の事を若干面白可笑しく書きますね。 他教室ではPC教室までも食べ物と飲み物、それは持ち込みOKでした。コミックは紙にこぼすといけないからという理由で一切の持ち込み禁止という状況です。仮にですが当然授業中はそれ程飲まないでしょう、それに自分のコミックにこぼす事に気を付ける筈です。こぼしたとしても経験でしょう。そんな日常と離れた様な状況下でおごそかに小綺麗に静かに机に着いてお勉強ですか?。インクつぼ転した事ありませんか?、それにペン先のボテッの方が怖い。今後も机に飲み物を置かず清楚に描いて行くのでしょうか。私なんて水を飲む事を続ける生き物なのでそんな事大変です・・・まったく喉が渇いて倒れたらどうするんですか。この時期夏で、暑かったので私は休憩時間中に外で食べていたソフトクリームを休憩時間中に何かを取りにか置く為に、そのまま室内へ持って入ったんですね。生徒と講師の絆も、時には大切ですよ。 ど・ど・ど・・・どうして私は、当初から目の敵的振る舞いをされていた生徒数人に、告げ口をされるんでしょう。 担当講師と仲良くなれましたか?。 その後、他教室同様にごく普通の生活圏内の部屋となりましたか?。 それにしても・・・先生内緒にしておいて上げるよでもコミックは食べ物も飲み物も駄目なんですっ~的な事は、社会と人間を救う・・・かな。バレーシューズに画鋲を入れると・・・赤の毛糸パンツが・・・青へと変わる。 アイスクリーム美味しかったです。 それともう1つ、形式上の授業形態だからなのか1年過ごした2年にもなって、一人の生徒を集団による意識的な疎開をさせるな、狭い世界にもかかわらずここは講師が居ないのか?。先きにも書きましたが、社会の形式的な授業現場では前で説明して終わりの形が主流かも知れませんが、ここは文化。描く分野ではそれでは何も進まないからこその直指導描画と説明と話しです。 <先生、熱い。>・・・汗かいちゃった・・・服脱ぐの手伝ってくれる・・・。 あとは他で書こうかな、一緒に御飯食べに行ったり親しくしてくれた方達との内容ですね。憶えています、楽しかったですね。 コンピューターグラフィックデザイン科。 次はCGデザイン科です。 ここだけに限らずですが、当然生徒の道の為でもありましたが、私は文化としてのゲーム方面、当然それにも興味があります。ここは途中から科専属の担当講師が変更になったとこですね。最初の担当講師の方とも時折会話していて、描く事とかPCの事とかを話していました。その方は専属講師という立場で2回程タイムカードを切る事が出来なかった事が表面上の理由だそうです。実はこの辺の内容を他講師が話していたのを私は聞いていました。というよりとある講師が話してしまったんですね、私に。PC系科での空気的側面もあり好みから来る人的操作の安易性を求め、以前からチャンスをうかがっていたという事です。その後担当が変わりました。嫌ですね・・・除湿器を置いた方が良いと思います。 お肌の為にも時々・・・加湿器。 最終日にも会話したんですが、それにしても生徒の事心配していましたよ。 これは書いときますが、<面接に行ったら隣に居たりして>と、生徒が喋り大声で笑うな!。 それではCGデザイン科です。 当初から就職の為のみといえる作品ファイル制作です。というよりここでは2D3Dソフトで立体造形物等を制作する事だけに意識が向いているので、デッサン中にそれを行なう生徒が殆どでした。たかだか週に一回のしかも2時間そこらのデッサンをする時間も無い程忙しいとは、ひょっとして秘密結社か何かに追われてるのだろうか・・・ま・まさか地球を救う為に・・・。 ここだけではありませんが、それで描ける力を持てなくてもそれで後で・・・ウダウダいわない。 思考がPConlyみたいらしく描く事のデッサン授業は要らないとその講師も生徒も考えていて、ファイルにすら要らないと考える生徒の中、大事な時間描き素描仕上げ以降、どうでもいいという方々の多い事。その時間迄もソフト開いて簡単な造形物を作る・・・。そんなに椅子か何かを作りたいのだろうか。 一人その時点でかなり描ける子が居てそのレベルなら望む所へ行けるだろうと思いましたが、知ってる気もしますが授業中大声ではしゃいだりして何かあったのか週一の授業へも出て来ないで、担当の講師に何とかしてもらいましたか?。あなたは代々木で2番目にデッサン力のある人でした。 このジャンルはPCメインなのだから、デッサンファイルと多少のレベルがあれば、他よりも御の字です。そこで担当講師と話すんですが、3DであろうとPC平面を修正しなければ、やりっ放しでしょう。代々木は担当講師からもせず、指導もさせもせず後でグダグダ言わない。その他科も全般にですが、平面絵画からの思考が存在していないので、構図の説明が全くなされていない。雲を描くのが好きなのはわかりますが隅々迄配置するよりも、空間を考えて間の取り方と大小の比率。建物を配置した風景をプリントアウトするなら切り方に注意しないと、散漫。飛行機図の大きくある手前コックピットを描かなければ黒塗りなら他に何所を見るのだろう・・・とか、3Dでもプリントアウトしたものは、イラスト、気にも留めず安易に撮った様な配置のイラストはもったいない・・・みたいに。初段階のジャンルという事と平面絵画での思考的にも・・・わからないかも知れませんが、モニター平面で見せるにもプリントアウトしたものも、その他色も修正しなければなりません。 積極的に伝えて回りましたが、肝心な事は、 何故、私達はPC出来るんです空気でいるのか・・・それは寂しい事です。 すごい言葉も耳にします。<踏み台にしてやろうぜ>かな。それで結局どうにかなりましたか?。 <今日はデッサンの日だから残って描いて帰る、ぐふ、ふへへへ>・・・は許す。 当然出席している生徒のデッサンファイルは全国のこの狭いジャンルの中でもかなりのものを仕上げて回りましたが、デッサンはもう良いと、週一の授業もソフト一筋だったので終盤は他の話し等をしました。以前のOSですが、私は前にshadeプロを買って色んな造形物を作って遊んでいた事がありました。コピー見せましたが、高かったですがTVでテラ何とかという3DCGキャラが出ていたので真似て同じ様な人物像を作ったんですね、服は着せませんでしたけど。当時はレンダリングに朝迄掛かる事もあり、描くにはフリーハンドの方が速いという事と芸術創造の観点から想像哲学も相俟って、今は使用して無くバージョンUPもしていませんが、私と同時代性の人達なのでソフトの使い方くらい教えてもらわなくても出来るでしょう。 夜一人で家具を作りなさい。 根は真面目と知っているんですが、もったいない。 それであとでグダグダ言わない。 ここは人数が極端に少なく数人程の存続が危ぶまれるコースでしたが、PCのみの重要性思考と車の動かし方を聞く様に、メンタル的にも楽な当然のソフトの使い方では、生徒と講師の指導はありました。私が感じたのはCGデザインとなっているのだけど、CGは有っても、デザインではない。つまりデザイン性は無く、粘土で壷を作る道具の説明はし易いでしょうが。 見る限り行なっていたのは3Dソフトの使い方指導。簡単な造形物を作ったりしている事。 ソフトの使い方指導に重点を置くのでは無く、作るもの、そしてイメージする事。それだからこそ某ゲームのデザイン素描や造形物、イメージを加味した風景図を見せ、指導に入れたんですね。要らないですか?。それだと趣味で遊んでいる人は自由な想像を加味して独創的なとこ迄も楽しみながら3Dしてますよ。当然、ソフトの使い方に長期を費やす事が目的ではなくです。 今回CGデザイン内容文はコミックと違い内容もそれほど無いので少なめにしようかな。 CGD教室は賑やかな方も居ましたが、全体的にも興味の先きと世界観での配線思考かも知れないので、私は珍しかったかも知れません。が、同じですよそれぞれ個性があります。単にソフトの使い方だけを指導する科なら尚の事、私が言っていた様に学校としてその方面の会社へ積極的に何とかしてあげなければなりません。何故私だけ進ませようとしている存在なのか意味が分からない。同ページ掲載なので付け加えると、コミックは通念上、作家としての創造と空中分解が多分にあり意識をしておかなければならない科ですが、ここはファイル重要性と自由に作れるソフトで創造する事を抜きにすければ、一般的路線系と同じ様な側面を持っています。が、作るという世界上、先に書いた様な事を持ち合せています。ビジネスonlyとその世界の進歩上、主流会社以外は自ずと淘汰されて行くそれなので、絵画として制作した作品は、その後ももし何かの時にも同路線のそこへ持参出来ると話し説明もしましたが、それでは同じ事です。 後は他で書く事にします。人一倍にファイルをためていった方が一人居ました。CGを上乗せすれば今書いたとうりですね。但し、日々直しのある積極的な指導を受けそれを、モノ、にしなければなりません。 最後に。私の担当授業最終日のラスト直後、最後に担当講師と挨拶が出来ました。入って来た担当講師が机の上に女の子を描いた線の絵をみせるかの様に置きましたが・・・端からある思考の代々木のそれを表現されたのかも知れませんが、その意志があるのなら上手い下手ではなくとも、私に伝えるのではなく、指導し教えないと。 その他様々な内容を含み各科編.2へ |