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2009
11/27 (金) 94 |
学校編.2の続きです。
今回はコラムを後回しにした為に前回掲載から少し間がある事と描画論系では無く以前付属の俗っぽい内容になります。これ迄にもその一部を書いていますが、約一年間の期間でのその状況は酷いものがありました。こんな事もありました秋口頃だったかな、駐車場が休憩屯場所になっていたんだけど例の如く。宜しくお願いしますってわかっているじゃないか、と盛り上がる職員達。学校ではないからなのか、初対面で宜しくお願いしますって言わないのだろうか。これは勿論そこの体質もあるのかも知れませんが、そうTV局芸能人による誘導犯罪影響の1つです。ここでは書きませんが、有名だろうが無名だろうが関係の無い話しという事もあると思いますが、1つにはTV局が困る事情を勝手に形成した事実裏付けとも表現出来るかも知れません。 とどの詰まり代々木での一年間をそこの現状で綴ると、そこでは授業と名は付いていますが実際は殆ど何もせず年に数回だけ仕上げるやりっ放しの単作品だけの時間で構成。これ迄書いた様にそれすら個々自由に時間も制作も過ごし諸処の理由で指導も手直しも行なわれておらない為に上達するという流れに添った思考の無い風景です。描画方向系や親しくして下さった方々との当時の話しは他で書く予定です。これも何処かに書いたかも知れませんが、私はすべてを記し話せる様になったので今後も記載予定です。 今回は指導当時の私が返信したメール文を付属掲載します。以下はそのメール文です。 当時8月4日返信メール (ピーのみ文字修正) メール有り難うございますお疲れさまです橋本です。 日程了解しました。当初に話した話には後にSD?とかイラスト?とかあったのですが何かわかりましたら教えて下さい。 あと送られた用件に関しての返事ですね。矛盾等にもすごく真面目に書きます。PCだから打ち易いですが、あと事前に書いときますが、文とはきつく見えるものです。 先ずは最初ですね。 ***送られました質問:1) 昨日は急な呼び出しに応じて頂き有り難うございます。こちらとの疎通が上手くいかなかった事に原因があるようです。ただし、以後このようなことが無いように原因はハッキリさせておかなくてはなりません。その結果、特に誰に責任を委ねようと言うわけではありませんが、原因の究明は必要です。恭明先生が「昨日は授業は無い」と判断された理由を教えていただけませんか? かなりガッツリ書かれていますので・・・先に少し書きますね。 すべてがあやふやな中でしかも当初から私という状況は個で存在していませんよね。すべて先生から教えて頂くという形式で渡された物は各科に必要なデッサン資料が書かれた紙と曜日の科の紙。日程表すら存在しません。「昨日は授業は無い」と判断された理由とありますが、 他の科は夏休み迄の終了日程等、何も知らされず私の担当授業日日程はいつの間にか終了。 誰からもその事や科の日程、代々木行事等すら一切何も関わらない知らない部外者。 私は科の私の日程終了日にも拘らず、何もその事は告げられず、夏休み迄の日程の終了を迎えました。 端的に言うと、その状況で最後にしかも夏休み前日に1つだけ残っていたという事です。 後で詳しく書きますが、それもあり確認の為のメールを先生へ送っています。 そうするとこの質問文章は、 「最終日に1つだけ授業が残っているなんて、私も知りませんでした。」 となると思います。それは科の担当の先生も先生もしいては代々木も日程等含め全般がすべてあやふやな状態でした。 代々木スタイル?なのか先生は以前にも・・・こう言いましたよね 「それは申し訳ありませんでした。それは私どもの不手際でした。でもこれはどういう事でしょう・・・」 冷静に見てか話を違う方向に?。ディベートでよくある方法ですが、以前にも交通費の事で隣の建物の上役?の方へ話を伺いに行くと、定期やこれ迄の出勤の交通費がどうなっているか尋ねる話が、何を護るのか威圧する言動。 「君はどこに住んでいるのか?。ピー線?、安い所だ。」 「君に面接の時に話したのは誰だ?。言わなかったんだな。その人間を言ってくれ。」 内容説明を聞くはずが、何故か必ず、違う方へ向けて持っていく。 この方はあの部屋の空気から察して社長以外誰も発言権を持てない状況を作っているのかバリケードを敷いたのかどちらにせよ過ちを発言してしまいましたが、先生の持っていき方と似てるんですけどそれは方針ですか?。 送られた質問の細かな事は以下に書きます。 先ず・・・ 私は2年生全体のデッサンを担当しているらしい?・・・のですが、2年生の日程すら知らない存在ですね?。 これはスタート当初から・・・私は社員ではなくそこへ曜日毎に通っているという内容です。それは初日に出勤した時に初めて知りましたが、先生が設定されたのか御承知のとおりデッサン系は先生が把握されている?ので私には回らないという形を作られていたと解釈しています・・・というより実際そうでしたよね?。 それで説明しますと・・・ 1年生には存在する予定的内容物、2年生日程表的なものを私はスタート当初から何も知りません。これは2年生のデッサンを担当する者が何も知らない設定とされているので存在しないのか、代々木がデッサン全体を組む設定をされているのであればその先生が制作し渡してくれなければならない物が存在しないか・・・どちらにせよ・・・この状況的な設定なら、私はそれ(日程等)を受け取りその日程を行う設定です。つまりこの状況の中で私は前期をこなしていた事になる訳です。 そして前日に先生と携帯メールしています 「明後日から夏休みでそれまでの日程は終わっていると思うんですけど明けの残っている日程の開始日と何かあったら連絡下さい」 と送った時の返事で、 「取り敢えず夏休みまでの日程、御苦労様でした。明けの日程等、送らなきゃと思っていたところです。ちょいと調べてから送りますのでもう少々お待ち下さい~。」 と送られてきています。先に書いたとおり私は設定上何も知らない現実がよく出ています。そしてそれもあり確認を行っています。先生も夏休み迄の私の日程が終了していると思っていますね。 そこで先生は「授業は無いと判断された理由」と来ているので、 「日程は終わっていると思うんですけど」と尋ねている限り、その時先生が「夏休みまでの日程、御苦労様でした。」とメールを送ってくれたから、が無難な事実です。 ここで尚かつ已然にそう判断された理由を、となるのであれば、科では部外者、2年の日程も知らない、プリントすら無い、早期に終る科、そしてその状況で科の担当でも無いのに間を空けての何と夏休み最終日に1つだけ、等々で、そう判断された理由をとは、この状況でどれ程、社員ではない人間に押し付けるのでしょうか?、となると思います。 会社としても先生としても状況としても、かなりの不可思議な質問です。 「電話出れますか」「可能ならば出勤をお願いします。」 という当日の先生からのメールで飛んで出勤した私という状況があるんですが、何故か話の方向が変わってますね。その曜日の科の授業での出勤だけの設定で、しかもその科の内容は一切別物として赴いていた状態です。その状態なので授業の無い日だと知らずに出勤して無償で1年生を指導した事も御承知ですね。 ならば「その原因の究明は必要です。」も必要なのでは?、そして「以後このようなことが無いように原因はハッキリさせておかなくてはなりません。」 今日が授業最終等を知らされた事も無く、代々木スタイルなのか名簿を取りに行っても会う事も最終日すら会話も無い場面。それは科によっては初日からの生徒名簿の存在が物語っているのかな。 あとは先生は当初から「すべて私を通して下さい。」と言っていました。 「昨日は授業は無いと判断された理由」、それは上記内容がある以上、代々木のシステムとそして、それは社員です。 「原因の究明は必要です。」 ***送られました質問:2) 背景科の先生から再度指摘されました「先日も言ったが、ピーに就職の話をするのはやめて欲しい」とのことです。文脈から判断するに、先日私の方から伝えた後に再度話をしたように取れますが、そうなのでしょうか?更に背景の先生からは「こちらには全校の背景科学生を見据えた上での就職指導方針がある。個人に対しての具体的な就職指導はやめていただきたい。正直申し上げて、デッサンを教えてもらえればそれで良い。今後このような有るならばピーはデッサンの授業に出させない」とのことです。背景科の先生の話が前後しているのか?それともその文面通りなのか、現時点で私には判断出来ませんが、そう言うことのようです。心当たりはありますか? これはですね・・・最終の朝の授業の日の休憩にその生徒(ピーさん)が、背景方面の職につきたいらしく相談してきたんですね。 ここで1つ。御存知ないかも知れませんがその科の必要なデッサンを指導しています。お餅の話を説明していてお米の概要が全く無いという話になりますか?。だとしたらこれ迄代々木はやりっ放しで来ていたという事になるかも知れません。そしてそれは私の指導した現状では事実の面がありましたが・・・。 その生徒は朝の休憩中に他の生徒に説明した後、着彩が上手くいかない事と色々な内容とかで見てもらえますかと、それで着彩背景を見ました。これはそれ以前に話した事があるのですが、その生徒は身体の調子が悪くてその方向の仕事が向かないと・・・以前、背景の先生も話していました。 先ずここで大切な事を書きます・・・。 1)その生徒は背景方面の職につきたいらしい事と、10月迄に体調が治っていれば何所そこという背景会社を受けてみようと考えているという事。 2)その生徒は代々木で一番、デッサン力があるという事。(これは美大出という経験もあります。) 3)その生徒は背景の先生と仲が非常に大変悪いという事。(それも理由にあり私に相談に来たんですね。) 特に3)はこの間背景の先生に、その子が休憩中に背景を持って話しに来て、色々と相談に乗ってあげた事を話すと、その背景の先生は激怒。 「ピーは、一番下の層の背景会社へ入れようと思っているんですよ!、あいつは自分の事しか考えていない!。」 「周りの生徒の迷惑だ!。」 「あいつがこの間この背景会社へ勝手に連絡をして入社試験の事聞いていたとその背景会社に去年入社した子が教えてくれたんですよ。」 「あいつ(ピー)は駄目だと方々に言っている!。」 「生徒の就職の事に首を挟まないで頂きたい!、余計な道を作られると迷惑だ!。」 など、あの時の見幕はすごかったです。周りに背景科1年が数人いたので、生徒上の立場が保証されてその先生に話さない事前提であれば・・・聞いてみたらどうですか?すごかったですね。その先生の態度は、大切な生徒の未来も人権も人として一線を越えています。 もう1つ大切な事書きます。 背景会社等は、それは多少制作仕事の関係上、アニメ学校とアニメ背景製作会社等、コネとかあったり等するものです。代々木はそのコネクションが強いですね。それはある程度迄は否定しませんし、そういう面があります。が、生徒の未来すべて牛耳るのはどうかと思います。それに状況から判断して、先生に好かれにないと進みたい方向へ行かせてもらえない状況に見受けられますがどうでしょうか?。その生徒は代々木で一番デッサン力があります、そして代々木で指導を受けた着彩背景だけがまるで指導を受けていない様な状況、そこにその先生にどやされて非常に仲が悪いとあり、尚かつ精神的な事からくるのか先天性なのか拒食症。 「あいつは駄目!って方々に連絡しているんです!。」「ピーは駄目なんですよ!。」 拒食症で食べたものを吐く時もある程の人間に言いますか?。あまりにその背景の先生のその生徒に対しての言動が度を過ぎているので何か不穏なものを感じます。それと私が某アニメ学校を知っているから思う事なのか、代々木のその科は生徒の就職すべてあの先生の独壇場かも知れないですね。他のアニメ学校はもう少し生徒の道は生徒で目指せる状況があります。 つまりこの出来事で私が感じた事は、その先生のその生徒に対してのあまりに過激な言動、その生徒が先生からそういう状況に置かれているかも知れない事と、その生徒は代々木で一番デッサン力がある事。 そしてここからは追記ですが、以前先生は私に、 「科の担当の先生の領域には口を挟まない様に」 「会社の人間として」 「デッサンだけやれば良い」 とありましたが、生徒の進む道に必要なアニメーターと背景の方向のデッサンを指導しています。そしてその生徒は社員が救ってあげた方が宜しいのでは?。それとも私の様にあやふやな状況下に置かれている講師が大切な生徒の存在を気にかけてるのは代々木という会社に取って迷惑なのかな?。とにかく、出席した生徒へはデッサン指導が当然ですが、その方向のデッサンの授業がらみで着彩の話もアニメーターや背景等の会社の話も、アニメ制作関係の仕事の話もしてはならない?というのは代々木の方針?でしょうか?、その先生だけの考えなのでしょうか?。 背景科生徒へは、職に就いた時に必要とされる描く力を教えてあげなければなりません、仕事先では、色を使ってデッサンをする仕事です。ちなみにアニメーター生徒へは、アニメーターの必要なデッサン力とその内容を指導する事は大切です。彼らは動画や原図系に直結するドローイング力も必要です。 ***送られました質問:3) 「9時20分に来るようにしてもらえますか」と伝えた翌日の打刻時間が9時55分というのはどう解釈すれば良いでしょうか。「寝るのが遅い」と言うことでしたが、私だって平日は4時間半程しか寝ていません。3時に寝たとして、4時間半睡眠で9時20分に出社する事は十分可能です。以前も言いましたが、50分台に来ていては電車が5分遅れればもう間に合いません。それを見越して出社するのが社会人のモラルです。 これは確かに前日に「あとですね~、ミーティング出られますか?。」と話された時に、 「夜2~3時迄、色々やっている事が多いんですよね~。それだと睡眠時間が4時間あるかないか位になってしまうんですよ~。」 先生「あ~そうなんですか・・・。」 「じゃあ・・・明日何とか来てみます。20分でしたっけ?。」 と言いました。実はこの日夜に作業が遅く迄続いて前日に先生と話した内容に則してないのは事実です。これはその前日に先生との約束のみのという事柄ですが、出られなかった事は謝らなければならないと思います。しかし現状として個人のそれでそこ迄言いますか?。 あと、余談ですが・・・その時続けて「その後の僕の日程はどうなっていますか?」と尋ねたその時紙を捲る手と声の感じから何故か緊張していたのを感じましたけど、あれは何かあったのかな?。余談ですが・・・。 私は先にも書きましたとおりの内容と、あと・・・伝えて頂いた私の状況と設定でのミーティングとは、最初辺りのミーティングで・・・一応新しく指導する事になったので顔を出して挨拶して下さい的事柄と、その後何も無く終了日間際に、そう、先に書いた様に先生が「ミーティング出られますか?」の、それだけです。 当初、先生ともその辺りの会話がありましたよね?、おぼえていらっしゃいますか? 先生「先生~もう少し早めに来れますか~。」 「え~でも時間に間に合っていますよね?。だって40分迄ミーティングやってるし・・・その後に来ないと。」 先生「わかりました~。じゃあなるべく遅れない様に来て下さい。」 「ミーティングやってるし・・・その後に来ないと」とは、私は関係ないのでその時来ても授業開始迄時間を持て余すから、という内容とその通りの事実です。 確か「そんなに早く来ても、何もする事がなくて暇なんですよね~。」と何時もの如く笑いながら話した記憶もあります。 つまり現状でミーティングとは私には関連の無い事の認識です。 あと・・・これは多分答えられない質問返しだと思うんですけど・・・ どうして「社会人として」とか「モラル」とか言うのでしょうか?。私は一度も遅刻はしていませんね。何かの差別的内容?あとどこぞの通達?設定している辞令?。 まるで社会人としてその事が出来ない風潮に設定しているのは・・・そこの空気なのかな?。私は遅刻も無く、外部という設定にも関わらず社員以上に、しかも出勤中は代々木で一番指導していた存在です。これは私の認識だけではなく生徒もそう言った事です。「先生が一番頑張っている」と。それにこれ迄は蔑ろにされていた代々木のデッサン、そして今後へも参考に成るデッサンファイルを指導しました。 話を戻しますと・・・、ある時は部外者である時急にそうなるのは、個人としても会社としての話としても、不可思議ですね。 ***送られました質問:4) 更に言うならば、本来ならば此処に書かれているようなやりとりはメールでは無く直接行うべきモノです。私も創作館なりアニメ・ゲーム館なりに早めに出なければならないので朝に伝達事項等が有る場合にはどうしても9時20分以前に合う必要が有るのです。学生に向けたインフォメーション等がその日の朝に出ることも有ります。 また、所詮30分くらいの違いかもしれませんが上記のような事が有った場合にも20分の時点で来ていなければその時点で対策を打てるので被害を最小限に抑えられます。 まあ20分とは言っていますが、実際には20分からミーティングが始まってしまうので実際は10分くらい、と言うことになるでしょうが・・・。 いかがでしょうか。ハッキリ言いまして、50分台に出社されることは上記のような事柄に於いて仕事に支障が出ます。その上で9時10分には出社して欲しいと申し上げています。 上にも書きましたとおりと、話がそれてしまうので説明を入れますね。 「上記のような事が有った場合にも20分の時点で来ていなければその時点で対策を打てるので被害を最小限に抑えられます。」 先ず、その時のミーティングでその話はなかったんですね?。あったのならば先のメールは不可思議です。そしてそれでこの内容文脈も不可思議です。 「ハッキリ言いまして、50分台に出社されることは上記のような事柄に於いて仕事に支障が出ます。」 先に書いた様に話が変わっているんですね・・・。 あと上記の様な事柄とありますが・・・先に書いたとおりです。連絡出ていないんですよね?。私も立場上連絡は出ないだろうと思っています。 そこで「どうして連絡が無い」と判断される理由を、となっている様なものですが、再三書いていますが私の立場と設定上、当初から代々木のその内容に関してはノータッチですよね。あと学生に向けたインフォメーションは各科の先生が取り仕切っていますよね。 「その上で9時10分には出社して欲しいと申し上げています。」 これは・・・誰かからの何かのプレッシャーですね。 内容と何かあったら話して下さい。 あとはですね・・・夏休み迄勤務してきた現実の実務的内容と私の状況設定で・・・どれほど迄の責任を持たせようとしていますか?。 何も無いのですが「社会人として」とか「モラル」とかですね。「学生に向けたインフォメーション等がその日の朝に出ることも有ります。」ですが・・・というより先生とも話した事が何度かありますが、各科の生徒への連絡等は勿論、代々木内でのそれら関連事項に於いて私は全く知らない部外者です。各課の担当の先生もそれらがある時には自分の生徒なので当然連絡等していますし。 あと意外に重要な事は・・・私の立場でその時何があるのでしょうか・・・初日からそれら関係も何も無いですよね。 ***送られました質問:5) 以上の事柄について、恭明先生のご意見が有れば伺います。お待ちしています。 突然の内容でしかも差があり、その事に於いても長く書きましたが、そして矛盾も含まれるので込み入った文章になっているかも知れませんが大凡こんな感じです。 |
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2009
4/28 (火) 93 |
学校編.1の続きです。
今回は2008年度1年間指導した代々木にある代々木アニメーション学院という所で一年間私がそこで実際に経験した事を書きます。今回の内容には技法的側面を含みますので、前回の代々木アニメーション学院.学校編.1コラムよりも少し難しくなっていますが、これもこれ迄執筆掲載している美術芸術系コラムよりも想像観念方向というジャンルという事も考えて後半は幾分、文章を柔らかく崩して書きたいと思います。 今回は先ず人間だからこその描くという思考が備える概念やそこに存在する枠組み概要から実態へと説明を移したいと思います。 当然の事として、アニメーション方向であろうがコミック方向であろうがイラストを描くという事であろうが、何かを描くという事であれば、描くという事です。芸術の歴史にある広大な素描という概念に限らず、学校という名目上に於いても自由に描くイラスト領域にあっても当然その一端を担います。その過程では描くという事で思考される時間と身に付けたいという精神が、描ける様になりたいという思想理念を持ち持たせてくれます。その中には高額な授業料を払っている場所もあり、描く事の素養を身に付けず期間を過ごしている現状ならばそれは意味が無いと言わざるを得ないかも知れません。描く事での経過時間は自身と向き合う事となり、自身が安易に満足の出来る所謂やった気になれるPCのソフトウェアの使い方授業時間で日々を経過しているだけでは、御高齢の方はともかく他は自分で説明書を読みながら使っていると思うので、それが授業の大筋として行なわれている様では、本屋さんでアプリケーション使い方の本を買った方が120円の為にもなるでしょう。 それではこの内容に合わせて、絵画芸術系方向と付随してその概要を簡単に技巧面も交え綴って行きます。 先ずと当然、目を備えた方なら人間の眼の構造から発した絵画哲学、これは以前何処かへ書いた事があるかも知れませんが、その1つには人間は2つの眼を持つ構造、つまり複眼で物をとらえる生物であるという事。その事から研究され長い歴史の中で様々な哲学や生まれた技工、その後単純化したものやその奧の精神に至る迄、開拓模索構築されてきました。その歴史の中で生み出された技法の1つに、単純図形化した片目の統一図面技法があります。それは単眼、写真カメラレンズの様な1つのレンズでの視界を描く事に当てはめるというその思考からの、図面的概要です。カメラが発明されていない古典時代には、片方の眼を瞑る等の概念思考や平面造形考察等からそれと同様の事を技法として認識し疑似空間を作り描いていました。 人類が何かを平面に描くという概要は以前から書いていますが、人の持つ視覚的構造から起きた思考哲学の歴史そのものが具現化されたもので、それが物を観て描いた絵画の歴史の幅の1つ、と表現する事が出来ます。つまり簡単に安直な言葉で1つの断片だけを指し決められるものでもなく、後に書きますが例えば、単純化された図面上での決まりきった角度の線等(パース)を引き、そこに合わさる人体を俗にいう御上手に描けたら良いとされる様な単純なものだけではありません。どうしてその単眼による視野のカメラレンズ視点の絵を描こうと思ったのですか?、は物を表現し創る上で大切な思考と精神性です。人体1つにしても描写1つにしても表現しようとするのであれば、そこには精神性を持つ事は重要な事です。この話しは重要な側面を持つので他のコラムに書く事にします。 皆さんが目にする絵には様々な疑似空間表現があり、その中の1つに一番簡単な図形的な線引きによる角度表現(パース)の図面引き画法があります。これはどういうものかという事を解説します。(眼)レンズが2つある人間の場合はカメラの様に1つのレンズで物を見た時よりも空間に於ける立体的把握や空間感、そしてその他胆略に表現するには困難な諸々の情報や事柄等、それを自然と知覚しているという事になります。これを構造上の現実側面で説明すると例えば、正面にある物を若干左視点からと若干右視点からレンズにとらえていると説明すると伝わり易いかも知れません。この複眼だからこそ芸術平面に描画する際に生じる情報過多と俗にいう違和感が起き、極初期の段階の描画哲学として研究思考され、その中で平面に実際のそれを表現する際には、という様々な概要や哲学を生み出して行きます。つまり人類が平面に物を忠実に描画再現しようとする時に生じた矛盾が、どのようにしたら表現出来るのかという思考と技法を生み出し改良し取り入れられ、当然の如くそれは現代に至っても空間を造形する際の造形哲学と描画表現として存在てします。芸術表現の中では意図としてのみ、単眼レンズ的概念で均等に筋引きされ枠ぐられ制作された絵画もあります。その発見は非常に古く古典絵画等の建物表現に観られます。描くという行為以前の枠組み思考から図面図形的な線引き思考がなされ、まるで図形の様に描かれた表現なので視覚的にもそれはわかり易く一度は御覧になられた事があるかも知れません。つまり描ける様になるそして描くという事の人間の得た概要に於いては、それは描けるという事ではなくそして自由に描けるという話しでもなく、空間を図形的単純化した一番簡単な誰にでも表現出来る、図面なのです。 ここで話しを戻しますが、先ず先きに、それだからどうのこうのという事を書くのではありません。その技法もそしてその他すべても、芸術の歴史の中で人間の思考哲学拡大の一端として発明された、具体的表現形式の中の大切な1つなのですから。 代々木アニメーション学院の事ですが、以前にも説明した様に当然、絵画芸術方向の事柄の指導は行なわれていませんでした。これは描くという事が一種類だけの職業描きという意味からもそうですが、浮世絵以降から現代ではビジネスでのみ表現を行なう職業描きで習い枠組みされた為、描くという事の幅は無きに等しいです。そして付随すると、表現されている様なそして皆さんが何となく思われている事の1つ、芸術方向と観念系イラストつまり俗にいう観念から表現した独特なオタク絵は別物、という思考が存在しています。実際現実にはそれ以外の純粋な表現もそう枠をとられていますが、それは近い内に何とか成るかも知れません。これはその他の内容を含むので他のコラムで書こうと思います。 それでは先ずアニメーション全般の事で書きたいと思います。 皆さん御存知のアニメーションは極初期の頃、美術系方向からアニメ方向へ行かれた方がいらっしゃり、古いものの中には絵画的要素が多分に見られる物があります。これは良い悪いという胆略的な話しではないですがその後、それ専門の学校が出来、そこから直に製作現場へ入る様になり出す頃に、当然の如く効率のいいシステム化をされます。つまりどういう事かと説明しますと、描くという事はこういう事として予めカメラレンズ思考の単眼による空間図形の引き方を軸に学ぶのです。これをわかり易く例えば、マンションの建築現場にある立て看板の完成予想の建物図、そう説明した方がわかり易いかも知れません。当然の様に知ってらっしゃる方もいらっしゃると思いますが、平面画面内での空間秩序を予め限定する事で設定を観易くしているという側面です。つまり描くという事はその図形に当てはめての描くという事になります。先に書いた古典絵画等で西洋の建物が図面引きの様に角度を取ってあるのは、簡単で描き易くしかも平面だから描画情報量を少なくし観やすくするという、そういう概念からもたらされた事によるもので、その世界の空間表現の幅を1つに限定して図形化するという事です。これはこの方向だからこそ表現の的を得てそして限定されたと言えますが、つまり描くという事はそう言う事になるのです。あとこの方向の歴史では、イラストと呼ばれていた媒体を動的処理していた時代を経て、図形表現に当てはめアニメーションに使用した歴史的事実が存在します。それは私と同年代の方なら当時のアニメで視覚的に経験されていらっしゃると思いますが、そう、つまりほんの少し前の出来事です。現在は疑似空間としてこれが主流です。 次に漫画コミック全般の内容について説明します。 人間の表現する観念画の概念概要はここでは省き、職業としての漫画コミック初期の表現は、御覧になられた事もあるかも知れませんが所謂キャラクターを平面描画で画面構成として表現してある絵画です。その後上記の様に漫画家になる為の教室が出来、その他の枠組みと同様に観念描写に於いての描画指導概要は、空間設定ありきのカメラレンズ単眼図形パースで身に付ける事となります。勿論、現在でもその存在への進路過程や様々な味のある表現もあり、その1つの表現に止まらず多種多様に広がっているのは、西洋の客観視よりも観念描画の漫画的表現に長けた鳥獣戯画等にも観られる過去の作家の方々が自国の芸術文化、それだからこその芸術として幅を持ち描画されていた実際事実があったからに他なりません。当然そこには異なる物も存在しますがとどの詰まり、漫画コミックは現代日本に於ける、古典から現代での美術表現です。 次にイラストとしての概要のイラスト画に付いて書きます。 現代ではこれ迄書いた様に平面を図面的表現で空間を引き、それで描くという事がその視軸となり、唯一の表現とまでも表現されている側面があります。ビジネスとしての言葉から表現される意味の1つは、漫画等やイメージで描いた観念に於ける画風領域描画とその行程すべての描画です。イラストの持つ広域な意味は以前に何処かへ書きましたが、つまり客観視でなくそれであっても想像領域を加味されたものやそれ以外の描画されたものほぼすべてに当てはめられる領域を持っています。ほんの数十年前の出来事ですが、初期は絵画描画寄りの平面で描かれ、その後その枝葉から単眼の表現へと移行、説明し易い目的でその世界感を表現すべく擬似的パース表現を用いて、現代ではイラストを描こうとする領域に於いてはほぼすべてと表現出来る程にその表現でのみ存在します。それは先に説明した様に、この表現をする為に学ぶ専門の学校が出来た事でアニメ方向の職業描画から来る疑似パースと同様のシステムを組む為による面が多分にあります。 美術の方向で歴史上の事実からこんな話しがあります。美術の方向で数十年前迄のイラストという意味は、ただの図形や難解な幾何学形体を描いたものを指しました。その後のビジネス発展から発生した思考で、つまり現在にある様なイメージのままに観念描画で描いた絵がイラストという言葉を持ち始めます。その前段階がビジネス媒体に出始めようとする頃の芸術美術領域では、所謂キャラクター等が描かれた絵もイラストと呼び始めますが、制作するイラスト作品は丸三角四角や幾何学形体を画面に描いた作品で、それをそう呼んでいました。つまり、その概要概念を作品として実際に位置づけて表現していたという歴史事になります。 これを描画哲学から来る実際の思考で説明します。芸術に於ける造形物の描写表現は、何時の時代もリアリティーと平行して進んできた側面を持ち合わせます。表現に於けるリアリティーも人間存在から来る哲学を加味するものなので当然その逆も然りという事も含みますが、そこには人間という生物がその存在を表現する為に命と共に歩んだ精神が根底にあるので、それを単純化した物や簡略化表現した物、更に客観視から離れて観念へ移行する描画絵のもの、美術芸術描画を単純化したものをイラストという思考で位置と概念を形成し作品として実体化を行なっていました。つまり現在のビジネスから来るイラストという言葉とその画面自体は、その当時の概念そのままに、描画に於ける造形理念を観念イメージをもとに簡略化した表現、という事が説明出来ます。現在の概要と実際現実の描画自体は、当時思考されていた概念とつじつまが合うという話しです。 再びコラムの流れに戻ります。 イラストないし観念描画系方向はほぼすべてと表現してよい程に現在では、建築図面のパース表現が描くという事で表現されています。つまりそれは絵を描くという概念よりも作業の行程と説明表現した方が伝わり易いかも知れません。それは極簡単な事です。 芸術では建築図面的パース表現で描いた絵や敢えて表現の1つとして別の意図を持ちそれで表現された近代以降の作品も存在しますが、当然表現の1つとしてあるという事と、そしてそれは描くという表現の母体に関しては意図的な図面表現です。 長くなりましたがとどの詰まり、その様な図形表現をする事で削がれる側面が多分にあるという事は、絵画を御覧になられた方なら実際に目視し感じられた事もあると思います。物を観て描ける様になる為に描画をする行程ではレンズが2つの複眼による知覚と概念が思想心理にあり、様々な理論や描画哲学を生み出し、そして図形図面的表現で統一制作しようと思考する目的でのみ、建築図面的な単眼のカメラレンズ表現を用いるという事になります。 更にこのコラム筋の内容方向でこれを付け加えると、 現在の観念媒体では描くという事を物を観て描画する方向から身に付けない為に、単眼のパース表現で描くというそれから発した指導者とシステムでのみ思考される状態を形成しているという事になります。 ここで代々木アニメーション学院の内容へ入ります。 つまり芸術美術方向で培われた描画概念と諸々の指導は行なわれておらず、先に書いた方向での描くという事が土台です。ごくごく単純な図面表現な訳なのですが、前回書いたとおりその思考すら無く指導での指摘や直しもなされずやりっ放しの状況なので所謂、図面的表現世界に浸かりながら終わっている状況です。科にはそれぞれのその表現媒体の講師が存在します。つまりアニメーター科にはアニメーター科のそして背景、キャラクターデザイン、コミック科にはそれらのその講師がいるという事です。ものを思考し制作している訳でもなく異なる方向となっている絵画芸術方向での描くという事の領域とその概念、当然描画力も表現もありません。本屋さんで売っているイラストコミック系のその描き方等の一冊で見る事が出来ますが、それ自体の事柄もやってはおらずそして当然やるだけでは描けません。 図形面表現のみは、これは悪い事では無く先に説明した様にそれのみで画面を描く方向から形成された土台の上に表現しているから当然といえば当然の事で、寧ろ芸術を背負ってそれを行なっていたら重いかも知れません。 しかし前回書いた様な状況が醸し出されます。そこでは絵画から来る描画を省いてある領域なのだから、もし習っていたとされる事があるとすれば、図形的パースの他に然程見当たりませんが、何を教えていたのだろう。描くという事の筋も合っていないし簡単な表現も揃えていないという事です。 初日辺にキャラクターデザイン方向でディフォルメではない人体構造像を観たので、骨格形が無く肩が無いから描いてと言うと、集団を募り何故か潰されるという。これはただ好きに行なっているから自身とその領域に踏み込まれる事を嫌う表現の1つでもありますが、どの分野にもある成長する技術側面過程での自身が先へ進もうとする精神が存在していない1つの表れとも言えます。それと前回も書いた様に当初から暗躍した職員の行動が込められていますが、肩が無いのでその人体像が潰れているという事になります。そしてそこでは先きに説明した職業から発生した描くという描画理論から、描くという領域に原図を写し取るという概念が極普通に存在しています。これは悪いという事ではなく、薄い紙に描いた絵の上に薄い紙を置き、下から光を当てて下に写る線をなぞり取る行為です。芸術世界観に於いても1つの表現として当然認められる事と認識します。 私はこれ迄一度もその様に絵を写し取った事は無いですが、ここでその意味を双方から解説します。 先ず、何故薄い紙に描いているのかというと、裏返した時に形が合っているのか観れる目的があります。これは絵画芸術の方向ではキャンバスや厚紙の上に表現する為に不可能です。そこで古くから鏡を用いてそれを確認してきました。勿論、形を合わせる事に於いてのみの表現の確認の為の鏡合わせで、絵画と平行に鏡を当ててその鏡を覗き逆の形を観る行為です。ここではそれを薄い紙に描いているから簡単に裏返しにして観れる行為で、それだからこそ紙を重ねて上から下の絵を写し取る事が簡単に出来ます。実際にはトレース台という下からライト接写出来る台の上でそれを行ないます。 この方向では描くという事に写し取りなぞるという概念が深く関わっているという事。これは後に出てきますが、その思考で凝り固まっているのか描いてコピー機でコピーを取り配布した絵を、今説明のトレースしたと考えそして一方ではコピーの裏面を見て喜びはしゃぎます。 この行動は、そこの講師自身の存在自体を自ら否定する謎の行動といえます。何故かそれ以外考えれずひた走る不可解な行動といえるかも知れません。 それでは私がスケッチブックに描いた素描を業務用コピー機で印刷し配布した辺りの内容です。 この様に描いたものを生徒へ配布する事は行なわれていませんでした。そして当然の様に目の前で多数の作品を実際に制作する事等初めてだと思います。指摘されると傷つく事もありますが、陰で個別に手直ししている姿は極稀ですがありましたが、そこの講師は全般的に生徒の前で自身の描画を見せたりしない傾向がありました。 先ず当然、絵画性描画から自由に描ける領域を指導している側面を持ち合わせますので、予めこれは絵画としての人体素描ですと銘打っての配布、つまり絵画芸術として描画した人体像です。これはそのジャンルの図形的パースでは無く絵画として表現している一例。驚く事に配布すら受け取らない方々の多い事、渡そうとしても嫌々に横を向いて取る者や受け取ってくれないので目の前に置いてあげても見る事すらせず授業後もそのままそこに置いて帰る者。勿論ありがとうと言って喜んで受け取ってくれた生徒もいますし、表情には出しませんが内心喜んで受け取ってくれた人も。早々にそこで配布した一枚、そして夜遅く迄起きていて描いてきたんだよと現実迄言って渡しているのにそんな感じです。今後世の中に存在するすべての絵画と自身の描くものすべてを観る事も描く事も否定する思考で尚かつ超越した腕を持つのであるならば、自身の活動表現としてその眼を持ち行なっても良いかも知れませんが、それ以前に大切な事があります。 そして次に配布したのが上が絵画造形表現で下が観念描写表現をしたもので、描くという事の領域でのパース表現をした人体像。この時は酷かったですね、指導している教室すべてに配布して回ると授業中にも関わらず罵声と笑い声が。当然この時は既にある講師が暗躍していましたが、描けた人を見た事がないんだけどそんな状況。 そして次に配布したのがイラストですと銘打って配布したコスチューム人体像。当然そこで日常行なわれている写し取りや写真映像描写表現ではなく、絵画芸術領域でのイラストとしての描写表現した作品です。説明しましたが今一度補足すると、写真描写とは似顔絵的な表現から写真表面そっくりに描写したもの迄あるので御覧になられた事がある方もいらっしゃるかも知れませんが、絵自体を目視した時に写真の様に見える描写の絵の事を指します。当然この絵は絵画として描くという事の描画概要を質感と共に表現し、更に表現も表現し、デザイン概要を表現解説したオリジナル作品という事です。 芸術家は歴史上ある事を多分に行なう生き物といえるかも知れませんが、これも秘密を仕込んだ一枚です。絵画芸術の方向では先きに説明した様にキャンバスや厚口の画用紙等に描く為、人体の形を正確に描こうとする表現の場合のみに於いては鏡合わせで形を合わせ、紙を上に置いて写し取るという事等の制作思考はありません。配布後、ここでは写し取る事が日常茶飯事だからなのか、コスチューム画は紙を重ねて上からなぞって描いたとデマが。そう来ると思ってわざわざコピーを取る時にスケッチブックの部分もそのまま見せているのにすごく観念。講師が先頭に立って生徒に異なる指導をしては行けません。他では写真に薄紙を重ねてうっすら見える写真の雰囲気を頑張って描こうとしている講師の姿も。 秘密を仕込んだ一枚のその中の1つの技法を解説します。 このポケットへ手を入れた姿のコスチューム画は、観念イラストジャンルの説明の為に鏡合わせで正確な人体像に合わせた後に若干ですが部分部分を左右にずらしています。揺らしていると表現します。つまりコピー用紙を裏から見た場合に於いては部分部分で僅かに形が崩されている様に確認出来、正面から目視した場合には違和感無く自然な人体プロボーションに見えて尚かつ止まっているポーズですが動いている様に観えると思います。これを私は凪ぎと言葉で表現します。眼から入ってくる知覚による情報が、止まっているのだけど何となく動いている様に観えるという内容からそう名付けた技法です。この直後配布するもう一枚は表裏とも形が揃いそしてそれを行なっていない人体像なので動いているポーズでも止まって観えると思います。絵を描く時に写し取りなぞる事が日常としてある事から描くという事よりも常にその思考が先立つ事が一理ありますが、実際、無垢の人間が日々悪態を付く事等極僅かです。そこの講師達がこの時既にある方向へ向かっていた現われでもありますが、敢えて言いますと、その思考のみの眼で見るとそこで教えている講師で描ける方は一人もいらっしゃりません。これは前回の話しになりますが、端からその思考のもとに思考され行動する姿そのものだからです。後半へ続く前に。 とある某科1年のデッサンを指導している方に、これは悪くとらないで下さい描けない方がいました。これを言葉で表現すると生徒より描けない方となると思います。本人が話していたのを聞きましたが、そこに入り浸っていたらその科の専属デッサンとなったらしく、描いてある物からだけの判断ではないですが事実です。この方、コスチューム画のコピーを持ってエレベーターの中で遭遇した時に、うまっ、と零されていた方で当初から暗躍していた方。その内面を探ると、そうしないといけない境遇に追いやられた側面もあったみたいです。後日には別話しの内容が囁かれていたらしく、何故か私と張り合わせる事を総括は考えていた様です。実は今先に書いた様にこの方の正体を観させて頂く事もありちょっとした細工を施しました。そこ特有なのか何とか何かに照らし合わせてどうにかしたい、その1つで概要や見識を知らないと決めつけるのは早合点です。それにそこには自由に描けるレベルの方は講師として指導していらっしゃらなかった。 後半へ続く 本来の内容はここから? ある講師が生徒と悪口に盛り上がり話していた時そこへ入ると、アイコンタクトで、と知らないと思って安直に終始行動を取り全員で盛り上がるとあるデッサン担当の講師。何とか悪口を私の口から出させる為に代々木アニメーション学院っていうネーミングって悪いよな等何かを発言させたくてその他諸々行動を取るとある講師。当初交通費の話しとしてお話をしに隣のビルへ向うと、何か恐れている事があるのか普通の話しなのに押さえつけるディベートに終始するそこで2番目に偉いらしい人。その人の発言で偶然に思考が読み取れたが終始勝手な事でそれとする会社。そこで一番デッサンの描ける子の望みを何とかしてあげたいと奮闘するが、とある背景科の講師がその子を嫌っている為に2年になっても碌に教えても貰えていなかった実状に背景も教えながら何とかしたいと話すと生徒の進路に付いて口出ししないで頂きたい!、と怒鳴りつけてくるとある科の講師。終始大声を張り上げるとある科の講師。当初から何かあったらすべては私に教えて下さいと管理しているらしい方へその内容やとある講師の存在を口頭とメール文で書き伝えるが、実は全体がとある構造となっている現状だった。事実として話しには聞いていたが本当に体質が悪かったのか地下駐車場で悪口に花が咲く職員の方達。講師間で悪口に盛り上がり早々とデッサンを終了し学校ホームページで何故か建物図形を掲載しバイバーイと表現せざるにはいられなかったとある某科の講師。ここはカルチャーの様なその辺の趣味の奴らと違うわ、プロを育てる場所だ、と生徒より描けない講師がうなる。出勤するとホームズがいらっしゃったと、管理するデッサン講師へ伝えていた荒れている学校内容ととある講師等の話しを全体で実体化してくれる方達。早々と追い出す計画だったのかある科で終盤迄指導していると明らかに苛立ちを隠せず挨拶すらしてくれなくなった方々。 その他様々な内容を含み後半へ |
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2009
4/05 (日) 92 |
今回は2008年度1年間指導した代々木アニメーション学院という所での内容、実際に経験した事を書きます。
代々木アニメーション学院とは御存知ないかも知れませんが、アニメーションやゲームやコミック方向の教室を設けて生徒を募集している学校です。先ず学校という言葉についての事になるのですが、年間の授業日程数が足りず認可を貰ってないとかで所謂専門学校ではない建物という話を聞きました。美術系方向では予備校や研究所という設定があり、ここは制作現場へ送り出す職業訓練的場所とする見方が正しいかも知れません。そして後に書きますが、つまり中学高校位の年齢の方達には学校であるからこその学び身に付いて行く人生観や道徳等が、会社としてのみ機能している事と現場独特の体質とジャンル気質も伴って、育ち形成されない状況を生み出しています。それは人間を教える学校という存在ではなく会社という事等からその空気が生まれたとも仮定出来ますが、そこで働いている者全員とそして指導し教える人間が、実状では在って無い様なものと言わざるを得ないかも知れません。描く事に於ける側面から書きますと、美術系予備校の描く力が8とした時にそこは1だと考察します。但し育つ思考や哲学系、その他諸々の形成を加味すると15と1と表現した方が客観的な全体感かも知れません。それは描くという根底と芸術という母体での思考、自身の模索思考や開眼的事柄それも行動行為の差と考察出来るのですが、まずもって全然描いていません。この類は幅のある内容を含みますので後で書く事にします。 これはこれ迄執筆掲載している美術芸術系コラムよりも想像観念方向ジャンルという事も考え、後で文章をほんの少し柔らかく崩して書きたいと思います。これ迄のコラムというよりも一部は日々の更新履歴文に近づけて書くと表現した方が、私のサイトを御覧になられていらっしゃる方々にはわかり易いかも知れません。 当然事実ですが先ず当初に直接相談し、初回の話し合いでは、文化系方向の描く事の力になりたいという事、アニメは好きという事、描ける様になる為の活動や考えと腕と知識があるという事、5年程前から考えているという事等を話し伝えました。そして3ヶ月の期間はそこのきまりで1000円という事となりデッサン系は前期日程期間で終了予定、後期はその他上級クラス等も観て頂きたい、という内容でした。これは後にも出てきますが、実際その内容は大きく異なりしかもそこの体質から日々変化し、本人に気付かれていないだろうと集団での安易な発言や行動を伴い、とある操作と子供の様な罪へ向かうという行為が巻き起こって来ます。 話を戻しますと、私はデッサンという概要での描くという事の指導、そしてイラスト等各々の表現に於ける作品としての質、更にその方向が好きな事からも何とかして好きな制作現場へ送り込みたいという事を実社名も告げて伝えました。その時、イラストの生徒が制作した卒業作品も拝見させて頂きました。高校の文化祭生徒制作展示のイラストと同じ位のレベルでしたが、描く事の方面の指導で万人が身に付く様にこなせている場所は存在しない事は平面造形と人の精神構造上の実体的な事実なので、それは現状として当然別に構わないのですが、そのイラスト現状だと額の違う制度上からも何も習っていないという事に等しくなり、その期間と授業料はお粗末かも知れないと感じました。この時担当の方は自ら、生徒が自由に好き勝ってやっているので基本的な所がなっていないという事を話されていました。私もその事は知りつつそこへ来ているので、様々な知識と話された内容から率直な感想と意見として、表現も描くという事もこれでは・・・何となく分かりました、とそして表現としても意味なく的を得ていないと話したのを記憶しています。その後数週間が経過しても初日や日程や何時等の連絡も無かったので数回連絡をして折り返しを頂き、2~3度程直接話を持ち確定となった教室は5つの科、2年生のデッサン指導をして欲しいという内容です。そこはただ描くだけではなくしかも行なうだけでは描ける様にならないので一人一人に指導する事、そして当然描く事を指導しないと意味が無いという事も当然、更に描き始めた初歩の段階である1年生を見ないと意味が無いとも話したのですが、それはいらっしゃるという事で無しとなりました。これは後で出てきますが、根本的にここのデッサンは、ジャンル的に講師も重要性や必要性が無いと考えていた様で、授業も1年だけで十分とされていた様です。そしてこれは私が活動上知っている事なのですが、その人その人が描ける様になる為に指導するのではなく、やって終わりという所謂教本読みスタイルです。そこでは事実デッサンは論外という価値観を本筋で過ごしていて、何故か他の科は生徒数に比べ講師の比率が多かった事を感じました。つまりその状況の中で私は当初から終了迄の1年間、デッサンとして描画を教える指導者ですが、そこの現状で講師として指導者として一人一人に教えて回りながらも後で書きますがその状況からしても部外者として過ごした形になります。 当然そこには裏の内容が存在し、先きに少しその方向の内面を簡約すると、そこの生徒は自由に落書きをする事で日々を過ごすのが日課で、デッサンする事つまり何かを指摘や指導される事を嫌い、そして事実ですが、講師は一人いるのでその職場立場の有無や諸々の事が作用し、基本的な日本社会によくある体質も伴い、指導内容でも適当に扱っていいとこを取って捨てる、それが働いてきます。事実これはある科の講師が私に分からないだろうと思ってか知らずかその類の事を発言していたのを聞いています。 現状としては、2度目の話し合いの時にはすでに水面下でその類の思考が動きとして生じていたという事になり、その時既に様々な考えと取り決めが行なわれていた事になります。その1つとして最初に表れてきた事でわかり易いのは、現状で十分と考えそこで教えているデッサン講師が私という存在とこれからの事をすべて取り仕切るという事。私は初回の話し合いで状況等再認識し更に活動を行なっている事やその他説明も話したのですが、次点から何も知らない出来ないという思考を持ち込みその空気で今後操作され、その時から1年間に渡るその設定とそこから更に生まれる職場全体での動きがスタートします。具体的には後で書きますが、2年のそれを指導していても全ては私ではない思考と行動でのみ存在し私は部外者です。 決定となった私の指導する教室は、2年生の描く事が必要な現場、アニメーター,背景,コミック,CGデザイン,キャラクターデザイン。それら全ての教室に週一回の各々のデッサン曜日にその教室へ指導しに行く、つまり曜日毎に異なる科のデッサン授業日に教室へ出向き指導するデッサン講師として一年間活動したという事になります。 先に書いた様にこれにはそこの思考したそして思考して行く設定、そこで働いている職員講師も含めてと私という存在は別物なので、代々木アニメーション学院という建物とはある意味無関係の講師。これは日本の歴史上初めてかも知れませんが、当然?そこでの行事は知りませんし入学式等も私が履歴に記載した事が事実です。2年のデッサン授業を担当し行っているのですが、当然2年の授業の予定表は知りません。こちらから予定表を頂ける様に言いましたが、そこは非常にアバウトなものでカリキュラムは1年のものしか頂いておらず、有って無い様な類の物です。個々の教室の曜日が記された紙とファイルを作る為に必要なジャンルの説明紙だけは頂きました。ここ迄の内容を簡潔に纏めると、私は何も知らされない現場へ週4日のそれぞれの私の担当の科の曜日に感覚?で赴き指導していたという事になります。一度だけ、私の担当する授業が無い日に出勤し、それはつまらないので授業をしているんだけど何もしていない1年生の教室へ指導しに行った事があります。何もしていないと書いたのは、描くという事を指導していないという事もありますが、何故か何をすべきかするべき方針が立っておらず、日々ただ落書きをしているだけという状況であったからです。一年を通して無遅刻でこなせましたが、これも後に出てきますが夏休み前に一講師を抜いて他のすべての講師が事前に口裏を合わせて早々に知らせないうちにデッサン授業日を消去した事ですべての科の夏休み前の担当授業が終了したと思い、外部の者は既に夏休みだと思っていた事による日にちを空けてポツンとあった一科の授業日のみとなります。その時は不思議なメールが届き・・・そこには、今日授業あるみたいです。連絡下さい。の文字が・・・。責任転換なのかディベートはそこ独特の体質なのか後に、何故その日に授業が無いと判断されたのか御話を聞かせて頂きたいと。授業が無い日の事やその他諸々多くの事柄、そして今後ある多くの罪に付いて御話を聞かせて頂きたい・・・。 初日から 以上の様な事等から、私は指導しているのですが他の人物がそこでの私を取り仕切るという稀な状況設定下で初日を迎え、出勤しました。ここで補足しますと、そこでは通常朝に、個々の科を担当する者等がデッサン講師を含めてミーティングというものを行なっています。私は先きに説明した通り部外者的位置づけなので当然何も知らず関係ありません。一度だけ初回に話し合いをした方から新しく入ったデッサン講師として紹介するので出て欲しいと話されてミーティングへ出た事があります。あと新入社員歓迎催し?みたいな立食に出ますか?と言われて出席しました。その方からスピーチを勧められて壇上に上がりましたが、つまらなかったのかな、前後と異なる独特な雰囲気と角度を経験しました。但しこの時点では飲みながらですが少なからず普通に会話出来た講師が存在していた事が印象に残っております。 再び初日へ戻します。初日にタイムカードを切り、科の担当へ出席簿を貰いに行き、そして教室の場所を聞きそこへ向います。初日は平面に形状を描くという事とその概要が出来ていないであろうと思い私物を描画してもらいましたが、案の定、大多数が出来ていませんでした。そして授業を終えます。私は科の事には無関係とし周りも陰でそう話しそう接し、授業が終わったら本当の無償になるというので早めに退社する事を勧められていたのですが、授業後も残っている生徒に教えて回りました。描画道具も揃っていない状況でこの時行なった事を説明しますと、先ず私物を描いてもらい上手い下手抜きで描くという事の方向性があっているかどうか観たという事になります。驚いたのは鉛筆やスケッチブックすらもっていない人がいる状況。 以下、一部説明。読省略可。 初回辺は講義形式での授業を行いましたが、当然美術方向での講評は無しとしても、1年時に全くと言って良い程にどの分野でも存在する習得に於ける事柄で重要な指摘や直しが行なわれてはいませんでした。当然精神面は知り理解していますが、つまり指摘すると傷つくから言わないのです。 その他今後を一部抜粋しますと、 時間描きによる描画を制作し説明する必要性もあるので鉛筆が必要なのですが、お金がないから買えませんと言う。80万の学費を払ったから120円が買えないのかなと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、どうやって教室迄来たのかしかも飲み物や弁当は購入。そこではコピー用紙が画材のメインだとしてもスケッチブックは何度言っても持っていない。練りゴムもあって欲しいんだけど嫌いだと言って絶対に買わない。生徒が自身の為に会社へのアピールに持参するファイルの時間描きデッサンを描く為に雑誌等で良いから好きな風景や人物を切り抜きして持ってくる様にと何週間説明しても持って来ない。時間が無いので教室にあるそれを持って行き、これが構図が良いからこれを描こうというと描きたくないと言って最後迄デッサンを描かない。この絵ではここはパースが付くからこの角度を直してというと手で隠す。横を通るだけで手で隠す。顔を机に埋める。授業前日、ボードへ私に知らせたいコメントを一生懸命に執筆する。コメントがなくなる頃には何故か来なくなる。自分が描いている絵の原図雑誌なのだから確りとしなければならないのに次の週はもうやらない。絵の直す箇所を指摘するともう来ない。平面に立体を起こす技法はこの稜線を置く事と言うとそんな事習っていないと言って以後はそんな事教えてくれていない方の信者。すべての事柄を違うという。この人何も知らないから以前のデッサンの先生へ聞くと言って二度と戻って来ない。描かないで喋ってばかりいるので注意すると先生僕に言わないで下さいと言う。次週から来なくなる。描き出して5分も経たずにもう描かないという。今さら謝っても等の話し合いを授業中に隣の部屋で1年の講師と大声で話し共に意気投合し団結を深める。終始雑談ばかりで一向に描かないが甘えているので来てくれる。喫煙所で毎日他の講師と共に悪口で盛り上がる。デッサンなんか要らないというのでイラストをやるとやらない。次の課題は四コマをやると言ったら喜んでいた後来なくなる。毎日落書きしかせず課題の人体画を描かないので何時もしている落書きをしてというとやらない。実際に目の前で描いてみせて教えている時は必ず後ろを向き雑談をする。講師と共に悪口で盛り上がり2年は1年のデッサン講師に聞く事に方向転換する。科の担当の講師意外には口を持たない。絶対に挨拶をしない。生徒が出席しない授業として学校へ認識させる為に頑張る講師が悪口を広めそれに洗脳されて集団を募り欠席をし心変わりをしても顔を合わせる事に抵抗を感じ来なくなる。フリーハンド(手で絵を描く)は必要無いという開眼に達したのかデッサン日に終始PC教室のソフトで描いているが造形面での指摘を受けない現状で形も構図も疎かで指摘されず終始終わる。私はPCが使えないという謎のデマが流行る。造形を直しても私はそうは見えないと言って以後鉛筆と縁を切る。 無論これは人間が物事を身に付ける時に人が表現する一部の類でもあります。絵画指導者は熟知し導かなくてはその人を描ける様にしてあげられない事は重要な事実ですが、しかしここでは何を現しているかというと、勿論初めから生徒の気質や体質でその様な方もいらっしゃいますが、科の講師が自由にさせている事を表している事も1つと、そして実はそう仕向けている側面も存在します。前期期間中は授業後に他の教室に寄って夜7時頃迄指導して回った事もありましたが、後に書きますがここでは私以外の講師のみが存在価値として生徒の思考に位置づけされている事等。そこから教えれば教える程に何故かそこの講師自体も二次元キャラ的所謂観念画のみだけの必要重要性を説き、それもデッサン指導の形の狂いを説明しなければならないので説明すると今度は、PCのみの必要重要性へ向い、最後は皆PC。当然の如く実はPCイラストも描く以上形の狂いを修正等しなければやりっ放しという事もあります。 そして補足すると、何故か次のその授業の日には前回とは別人格が登校してくる感じがありました。個々に指導して回り実際に描いて教えて次の週には別人格。これは実は間の一週間で悪口等に花が咲いているのです。 後半へ続く ある講師が当初から皆に助けてもらわなければという謎の言葉を言い、次第に何かを広めて行く。観念画方向で図形的に遠近感を引く技法の定規による建築図面的なパース表現。そのジャンルで習い身に付ける図形なのに2年にもなって何故出来ない。そしてパースに隠された秘密とは。何故かコスチューム画を配布後に更に一層そこの講師間で何かが激しくなって行く。そして荒を探す事のみに終始し、へたくそという罵声も飛び交う。そして授業に出ない生徒が増え喜んで名簿をチェックし伝えに行く講師。案の定か現状を聞いていて、今後どうします?、でも生徒があれでは、と笑顔で話しかけて来た後、これ迄に確りと考察しそこの現状と実態を客観的冷静に話すと、何故か凍り付く上役。何を書かれるか分からないぞ、と終盤に、当初から暗躍していた講師がうなる。隠し持った思考で告げ、来年度は1000円から金額が上がった事を、表情を確認する仕事を背負って話す。今日で終わりだと喜び表情を押さえきれないある講師は卒業式当日に何故かこれ迄の存在を明かしてくれる。 その他様々な内容を含み後半へ |